私が交通弱者という言葉を初めて見聞きした時期は中学生時代だった。なぜ中学生がこんな言葉を知っていたかというと、この頃、1980年に国鉄再建法が論議され、可決したからだ。国鉄の赤字路線のうち、特に利用者が少ない路線を「特定地方交通線」と呼び、廃止もしくはバス転換しようという内容だった。
いま思うと、世間をよく知らない中学生が、趣味で鉄道雑誌を読んでいたら、ローカル線の記事を読み、社会問題に出くわしてしまったわけだ。鉄道趣味は社会への興味に対する入り口でもある。ママ鉄の皆さんも、ぜひお子さんの関心を社会へ導いてあげてほしい。もっとも、私のようにませた子どもになってしまうとも言えるけれども。
それはともかく、政府が赤字ローカル線を廃止しようと取り組んだ時に、鉄道を存続させたい人々が使った「切り札」のひとつが「交通弱者」だった。
「ローカル線といえども、交通弱者の重要な生活基盤である」――。
この意見は正論であった。モータリゼーションだの、クルマは一家に1台、いや農村部では2台が当たり前……と言ったところで、中学生や高校生はクルマや免許を持たないし、自家用車で学校へ行くわけには行かない。高齢者もしかり。免許があっても、身体能力などの事情でクルマを運転できない人にとって、公共交通は重要だ。
1980年当時、経済・社会・政策を論じる人々のほとんどは運転免許を持ち、自家用車を持つ人、あるいは運転手付きの身分であったりした。今もそうかもしれない。国鉄の赤字問題に取り組み、赤字ローカル線を判定する人々もしかり。そんな人たちに対して「交通弱者」という言葉は効果があった。「世の中は誰もがあなたのように自由に移動できる人ばかりではない」という現実を喉元につきつけたわけだ。
「交通弱者」のために、いくつかのローカル線は残された。「並行する道路が整備されておらず、バスを運行できない」とか、「冬期間は道路が封鎖されてしまい、鉄道しか交通手段がない」という理由が付けられた。クルマを持たない「交通弱者」の対策ならば、「この路線の沿線地域は所得が低く、自動車の普及率が低い」という理由もあってよさそうだけど、それはなかったと思う。
「交通弱者対策」という言葉は、公共の福祉であり、赤字を許容してくれそうだった。そして残されたローカル線はどうなったか。垂れ流した赤字が膨らみ、地域の、自治体全体の重荷になってしまった。交通弱者を救うために、交通強者にも重い負担がのしかかっている。
どうしてこうなってしまったのだろう。それは「交通弱者対策」だからである。本当はここで、「公共交通はどうあるべきか」という議論を尽くすべきであった。
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