そして「交通弱者」は救われたのか杉山淳一の時事日想(3/4 ページ)

» 2012年09月28日 08時01分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

「交通弱者」は救われたか

 ともかく「交通弱者対策」として、一部のローカル線は残された。ただし「残されただけ」だった。「交通弱者のために鉄道は残しましょう」「公共の福祉だから赤字でもいいでしょう」「でも、それ以上の投資はできませんよ」と。なぜか。鉄道が残ればそれで良かったからだ。地域のメンツのためか、政治家の威信を示すためか分からないが、鉄道を残すために「交通弱者対策」という手札は都合が良かった。

 では、ローカル線が残って「交通弱者」は救われただろうか。確かに移動手段は確保された。しかし、残されただけだから、運行本数は少ないままだし、スピードはクルマより遅い。現状が維持されることが「救われる」というならその通りだが、幸福度は上がっていない。弱者対策とは、福祉とは、「現状を維持すること」だろうか。「今より幸せになること」ではないだろうか。

 「交通弱者」は、幸せになっていないのに、「地域のお荷物のローカル線を使う人」という扱いである。「助けてあげなくちゃいけない人」というレッテルは、その人の自尊心を傷つける。誰だって、自分を「弱者」に分類されたら不愉快であろう。「残してやったんだからありがたく思え、それ以上望むな」という「交通強者」の傲慢も見え隠れする。

ローカル線再生のお手本とされる富山ライトレール。弱者対策ではなく「誰もが選択したくなる乗り物」を目指したという。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.