天職は思いこむことから始まる――ロンドンで活躍する女性日本酒ソムリエの素顔世界一周サムライバックパッカープロジェクト(2/3 ページ)

» 2012年10月02日 08時00分 公開
[太田英基,世界一周サムライバックパッカープロジェクト]
世界一周サムライバックパッカープロジェクト

日本酒ソムリエのやりがいとは

――現在の仕事内容・活動内容について教えてください。また、日本酒ソムリエという職業について説明いただけますか?

菊谷 日本酒ソムリエの業務内容は、レストランでの日本酒メニューの作成、日本酒の買い付け、従業員への日本酒に関する教育研修の実施、そして日本酒に関わるお客さまとの直接のコミュニケーションが中心となります。

 ただ、大きな絵でとらえると、海外における日本酒ソムリエというのはそれ以上の役割のある仕事で、特に日本酒の国内需要や蔵元数の減少に伴って注目される海外輸出の大切な橋渡し役であるととらえています。

 米国各都市での日本食・寿司ブームをきっかけに、世界で日本食熱が広がっています。英国でもここ10年ほどで日本食レストランの数が急増し、現在ロンドンだけで500近くの日本食飲食店があると言われています。

 その流れを受けて、「日本酒=SAKE」も「寿司=SUSHI」に続く世界共通語になってきているのですが、英国では日本酒を一度も飲んだことのない人がまだ大半。中国の白酒と勘違いして「アルコールが強い」と怖がる方や、「熱燗で飲むもの」と固定概念を持つ方によく出会います。

 日本語のラベルや銘柄名、あいまいな分類表示から「おいしいお酒に出会っても、二度と注文することができない」と嘆く声も耳にします。ファッションやトレンドだけではなく、文化として日本酒を深く解釈し、日常的にたしなむようになってもらうまでは、簡単な道のりではありません。

 レストランでのサービスやテイスティングイベント、セミナーを通して、日本酒をさまざまな料理と合わせたり、お酒を造る各地域や蔵元を知ってもらったり、造りや蔵によって異なる味わいの違いを自分なりに感じ取ってもらったりする機会を創作するのが、海外におけるサケソムリエの役割だと自負しています。

 私自身、日本酒を勉強し始めてすぐ出会ったある蔵のお酒をいただいた時に、鳥肌が立つほど感激して「日本酒ってこんなにおいしいんだ!」と感激した経験がありました。

 あの時の出会いがなければ、ここまで自信と情熱をもって日本酒を薦め続けることができなかったのではないでしょうか。

 数ある日本酒の中から「思い出の1本」に出会ってもらうことが、日本酒ソムリエとしてのやりがいであり、海外における日本酒振興の一番の近道と信じています。

――欧州の他国ではなく、英国で活動を続けられている理由はありますか?

菊谷 英国、ロンドンは欧州の中での文化や経済の発信基地であり、さまざまな国籍や民族文化の混じり合った国際都市です。

 ワインの世界1つをとっても、フランスではフランスワインに、イタリアではイタリアワインに、オーストラリアではオーストラリアやニュージーランドワインと自国のワインに偏ってしまう各国のソムリエたちの嗜好ですが、ロンドンに来ることで客観的、中立かつ公平にならざるを得ません。

 それだけお客さまの嗜好や要望も多種多様で、常に固定概念に捕らわれず新しいものを求めているように感じます。

 そのような場所で、非ジャパニーズレストランでもデクスタシオン(小皿コース料理)に合わせたマッチングワインの1つに日本酒を取り入れたり、カクテルのベースとして日本酒を盛り込んだり、ワインソムリエが日本酒の知識を学び始めているという動きが出ています。

 「ロンドンの食べ物はおいしくない」と言われていたのはひと昔前のことで、今は伝統を残しながらも、さまざまな国のバックグラウンドを持つ若いレストラン経営者やシェフ、ソムリエたちがこの街に新しい風を吹かせ、欧州の飲食業会をけん引してくれています。この都市を基地に日本酒の素地を高めることが、欧州全体の日本酒振興につながると思っています。

――もともと海外で働くという志向をお持ちでしたか? キッカケはありましたか?

菊谷 幼いころから外向的で、日本の外の世界で何が起きているのか知りたいと好奇心いっぱいの子どもでした。

 アカデミックな勉強はあまり得意な方ではありませんでしたが、「色んな国の人とコミュニケーションを取りたい」という理由だけで英語の成績だけは常にトップ。

 高校時代は国際ボランティア活動に打ち込み、「緒方貞子さんのように国連で働きたい」という夢を掲げて米国の大学に進学しました。まさか海外で日本酒を伝える立場になるなんて想像はしていませんでしたが(笑)。

 大きなきっかけと言えば、大学で2年間、米国とメキシコの国境問題に関するドキュメンタリー映画制作を行った際、何世代にも渡る移民の歴史から成るアメリカ合衆国という国を通して、自身のアイデンティティー(存在意義)に強く向き合う機会がありました。

 それまで「外へ、外へ」とさまざまな国の境界を歩いていたのが、「自分のルーツ、先祖の守ってきた暖簾」のようなものに急に親近感や興味を得て、秋田にある母方の酒蔵、富山にある父方の寺の歴史をむさぼるように学んだのを覚えています。

 4年前に秋田の祖父が体調を崩したのがきっかけで、「自分にしかできない形で、先祖に恩返ししよう」と思い立ち、日本酒ソムリエとして転身しました。就活で自己PR項目に「境界を越える人です」と意味もなく自信満々に語っていた夢が、このような形で実現しました。

――日本酒ソムリエとして働く中で、立ちはだかった困難はありましたか?

菊谷 まず私自身、この仕事を始めるまでレストラン勤務の経験がほぼ皆無だったので、そこからのスタートでした(笑)。サービスとは、レストラン経営とは、おもてなしとは、海外で日本食や日本酒を伝えることなど、体を使って学んで来た3年間でした。

 まったく日本語や日本酒の分からない従業員やお客さまに、英語で精米歩合やこうじについて何度も説明する日々。レストラン特有の長時間のハードワークの中で自分の役割を見失い、正直心が折れそうになることも何度かありました。

 しかし、ヘッドソムリエになり、2店舗をマネジメントし始めたころからか、「自分の情熱をいかにチームに伝染させるか」ということが明確なテーマになり、自分1人で頑張るのではなく、ウェイターやワインソムリエに日本酒をプロモートして売ってもらう仕組み作りを進め、1年で両店の日本酒の売り上げを2倍に増やすことができました。

 海外で日本酒を伝えるという仕事は前例も少なく、一般的ではありません。何か決まった役割や成功例が用意されていて、それをうまくこなすだけでは成り立たない仕事。常に新しい方法で日本酒を紹介し続け、自分なりのスタイルで日本酒のファンを創作することが求められています。

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