「東京駅復原」で浮き上がる、貧困な景観デザイン杉山淳一の時事日想(1/3 ページ)

» 2012年10月05日 08時01分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

杉山淳一(すぎやま・じゅんいち)

1967年東京都生まれ。信州大学経済学部卒。1989年アスキー入社、パソコン雑誌・ゲーム雑誌の広告営業を担当。1996年にフリーライターとなる。PCゲーム、PCのカタログ、フリーソフトウェア、鉄道趣味、ファストフード分野で活動中。信州大学大学院工学系研究科博士前期課程修了。2008年より工学院大学情報学部情報デザイン学科非常勤講師。著書として『知れば知るほど面白い鉄道雑学157』『A列車で行こう9 公式ガイドブック』など。公式サイト「OFFICE THREE TREES」ブログ:「すぎやまの日々」「汽車旅のしおり」、Twitterアカウント:@Skywave_JP、誠Styleで「杉山淳一の +R Style」を連載している。


 東京駅丸の内駅舎の復原工事が完成し、10月1日に館内施設が開業した。駅舎というと鉄道関連の事務所という印象だが、実は、この建物のほとんどが「東京駅ステーションホテル」の客室である。JR東日本にとって、東京駅丸の内駅舎は同社のシンボルだ。しかし、単なるイメージアップというだけではなく、同社のホテル事業の集大成であり、実利を伴った事業でもある。

懐かしいというより新しい丸の内駅舎

 日本銀行など、近代日本の代表的な建物を手がけた建築家、辰野金吾(関連記事)。彼が設計し、1914年に落成した東京駅舎は、日本の国威を示す建築だった。しかし東京大空襲で被災し、3階建てから2階建てになってしまった。ところが、いまやほとんどの日本人は戦後生まれで、東京駅といえば旧駅舎を懐かしむのではないか。復原といっても、新しい駅舎に懐かしさはない。むしろ、歴史を感じさせる新しいデザインになったといえる。

 丸の内界隈に用がある人以外は、東京駅を利用したとしても乗り換えるだけだ。改札口を出て駅舎を見る機会はほとんどなかっただろう。だから、正直なところ「復原」すると発表されても、私にはピンとこなかった。戦後の補修工事だけでは耐久性に問題があって、そろそろ補修が必要だ。ついでに昔の姿に戻しちゃえ、ということだろうと思っていた。

 しかし、工事が完成してみると、この駅舎はほんとうに美しい。立派で、日本の中央駅にふさわしい姿になった。日本は国際列車もないし、鉄道で国威を示す時代は過ぎてしまったかもしれないが、この駅舎は世界各国の中央駅に引けをとらない姿だ。これから旅に出るときは、いったん東京駅で降りて、この駅舎にあいさつしていこうか、いや、やはり一度はステーションホテルに泊まってみたいと思う。

 この復原駅舎が、開業当時はどんな姿だったか。現在、東京駅構内京葉線連絡通路「京葉ストリート」や、改札外の地下連絡通路「丸の内アートロード」で写真やイラストが展示されている。そしていま、どんな姿になったかを自分の目で確かめられる。その全容を視界に入れるため、丸の内口を出て、行幸通りを皇居へ向かってしばらく歩き、振り返ってみた。

 ……がっかりした。

 東京駅丸の内駅舎は、開業当時のように荘厳な全容を見せてはくれないのだ。

行幸通りから東京駅を見る。赤レンガ駅舎の全容は見えない。
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