“鉄人”金本が阪神に残した、一塁への全力疾走臼北信行のスポーツ裏ネタ通信(4/5 ページ)

» 2012年10月24日 08時00分 公開
[臼北信行,Business Media 誠]

金本が阪神の意識を変えた

 細い体をウエートトレーニングで鍛え上げ、筋肉の鎧を身にまとった金本はタテジマのユニホームを着て「鉄人」と称されるようになってからも猛練習をやめなかった。試合に勝っても自分が打てなければ、ベンチ裏の鏡の前でイメージトレーニングを兼ねて黙々と素振りをする。ゲームセットから1時間以上も経っているのに汗だくになってロッカールームへ戻る金本の姿は、阪神の若手たちにとてつもないほどのカルチャーショックを与えた。

 それまで試合が終わると何の罪悪感もなく、さっさと風呂に入って球場を後にしていた者にも「金本さんがあれだけやっているんだから、僕らはもっとやらなきゃいけない」と感じさせたことは、阪神にとって大きかった。金本がチーム全体の意識を変えたのだ。

 厳しい練習量で自分を追い込み、試合ではどんな場面においても全力でプレーする。しかし、若手には面と向かって「ああしろ、こうしろ」とはいわない。ただしベンチでボヤくことは多々あった。

「おい、今の全力で走ったらセーフやろ」

「何であのヒットで三塁まで行けないんだ?」

 試合で明らかに怠慢プレーと思われるようなシーンが目に付いた選手には隣に座って、こんな風に不満を漏らしてチクリと刺した。

 金本は内野ゴロでも常に全力で走る。だから併殺が非常に少ない。1999年2月から2010年4月まで連続フルイニング出場を続けながら、年間で2ケタ併殺打を記録したシーズンは2004年のみ。それもたったの10打席だ。広島時代には連続無併殺の記録を作った。

 そんな金本が若き日の鳥谷敬の走塁に怒りをあらわにしたことがある。2007年7月の中日戦。2-2で同点の5回。一死満塁で金本が右前適時打を放つと一塁ベース上で渋い顔をしている。二塁走者の鳥谷が三塁で止まっていたからだった。

「あのヒットで三塁走者1人しか本塁へ還ってこられないなんてもったいない」

 試合中、このように広報を通じて異例のコメントを出したのは、よほど腹に据えかねたのだろう。当時の鳥谷はプロ4年目。将来のチームリーダーと目され、誰よりも全力プレーが求められる選手が手抜きと思えるような走塁をしたことがどうにも許せなかったに違いない。

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