「言いたかったこととは違う」――なぜ取材された側はこう言うのか相場英雄の時事日想(2/3 ページ)

» 2012年11月15日 08時00分 公開
[相場英雄,Business Media 誠]

 先月、民放の情報番組にコメントを提供するという形で、15秒ほど顔写真とともに出演した。

 事前に番組ディレクターから質問リストをもらい、電話で意見を聞かれた。ただ、情報番組の中で、私を含めた識者が意見を出し合うコーナーがわずか3分程度しかないと聞かされ、私は身構えた。つまり、どのように「ツマミ」が施されるかを考えたのだ。

 担当ディレクターと電話で話す間、先に当欄で触れた「向ける」の意図も透けて見えた。番組構成と演出の関係上、強いコメントを発する識者、その反対意見を展開する識者の強弱をつけたがっていると察したわけだ。

 私は強調したいポイントを2つに絞り、電話インタビューを終えた。

 オンエア当日。

 私はテレビの前で自分の出番を待ち構えた。事前に聞かされていたよりも多数の識者がコメントを寄せていた。結局、私のコメントはコーナーの最後に押しやられた。

 肝心のコメントは、私が一番伝えたかったポイントではなく、保険的に提供した次点の文言だった。ただ、「ツマミ」を強く意識していたため、番組ディレクターが望む「強弱感」に乱用されることは防ぐことができた。

芯があれば真意は伝わる

 最近のメディア界は自らの主張を補強するために、対象者に「向けて」取材し、得られたデータやコメントを「ツマム」傾向が年々強まっている。

 限られた放映時間、あるいは紙誌面では伝え切れないという事情があるのは承知しているが、古いタイプの元オヤジ記者としては、拙速かつ稚拙な取材が多すぎるという印象を抱く。

 自分が取材される機会が急増しているため、メディア側の取材力が落ちていることを痛感している。私自身はかつて取材する側にいたので、記事や番組がどう構成されるかある程度想像はつく。だが、一般の読者はそんな事情を知らない。

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