なぜ千葉市で政令市最悪の財政が生み出されたのか最年少政令市長が経験した地方政治改革(1)(2/3 ページ)

» 2012年11月21日 08時00分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

約60年間、助役出身市長が続いた千葉市

 オレンジ色で塗られているところが千葉市で今、人口は96万人います。東京都心まで40キロ、羽田空港と成田空港の間に位置しているという意味では恵まれたポジションにある政令指定都市です。

千葉市のプロフィール

 次図は赤い実線が人口、点線が予算規模です。見ていただければ分かる通り、戦後急激に人口が増えています。全国の県庁所在地の中で戦後最も人口の増加率が大きいのは千葉市なんです。ほかの県庁所在地は戦前から格のあった街が多いんです。

千葉市の人口と予算規模の推移(クリックで拡大)

 千葉市は戦前は軍のいろんな施設があり、そういう意味での県庁所在地ではありましたが、決して産業の集積地という形ではありませんでした。戦後になって、復興開発の中でいろんなものが集中して、大きく発展しました。

 特に、川崎製鉄のアジア1の規模の製鉄所が戦後すぐにできました。それが最終的に1万5000人くらいの労働者を雇い、川崎製鉄の企業城下町という性格も生まれ、そして東京電力の火力発電所なども集まって、人口が爆発的に増えました。そして、幕張新都心もできて、政令指定都市としての骨格ができあがり、人口がロケットのように増えました。

 それは良いことでもあるのですが、当然、高齢化などのひずみがこれから急激にやってくるということでもあります。千葉市は65歳以上人口の割合も全国平均より低くて、まだまだ若い街ではありますが。

 千葉市の特徴と課題ですが、政治的な話からすると千葉市長はずっと内部から出てきました。

 1950〜1970年まで5期20年間にわたって務めた宮内三朗さんは県庁出身で、千葉市ナンバー2である助役(=副市長)に来て、市長選挙に出て当選。その次の荒木和成さんは2期務められたのですが、内務省出身で、同じく千葉市の助役に来て、宮内さんの後継候補として市長選挙に出て当選。次の松井旭さんは6期24年間にわたって市長を務められたのですが、自治省出身で、県庁に行って、その後、荒木さんをサポートする千葉市の助役にやってきて、これも後継候補として立候補して当選。その次の逮捕された鶴岡啓一さんも2期務められて、同じく自治省出身で、松井さんに呼ばれて千葉市の助役になって後継候補として当選というわけで、ずっと政権が変わらなかったわけです。

 約60年間、千葉市の助役という内部の人が後継候補として立候補して当選、40年間中央官庁出身者が続いたということで、私が選挙で争った方も鶴岡さんをサポートしていた副市長でした。

 そうすると何が起きたかというと、この方々が悪いとかそういう話ではなくて、しがらみが継続するんです。選挙ではいろんな団体が絡み合います。特にこの人たちは役人なので、演説がうまくないし、パフォーマンスもうまくないので、選挙で票がとれない。特に無党派層の票がとれないんです。

 そのため、基本的に組織選挙になります。例えば、幼稚園協会や建設業協会、医師会のような業界団体の支持を受けて、当選するわけです。ですから、そういう団体への借りが何十年にわたって積み重なります。悪いことだけではないのですが、そういうことでしがらみが受け継がれてきたということです。

 そして後継候補になるので、前市長のやってきたことを間違っているとするとか、修正するとかは容易ではありません。むしろ助役として率先してやっていた側ですから。そういうことで身内に甘い体質や役所的と言われている体質となり、千葉市は無難に行政運営をやってきてはいるのですが、「あまり特徴がないね」と言われるような行政になります。役所の人たちはパフォーマンスがうまくないし、逆にパフォーマンスはやってはいけないものだと思っています。

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