2009年に現役の市長では当時全国最年少、政令市長としては史上最年少の31歳で千葉市長に当選した熊谷俊人氏。それまでの60年間、副市長(=助役)出身の市長が続いた千葉市は役所体質がまん延し、累積債務が危機的な水準となっていた。
就任直後に脱・財政危機宣言を発した熊谷氏。人件費削減、外郭団体の統廃合、事業仕分けなどの歳出削減を行うとともに、市税徴収率増加、資産経営やサービスの適度な有料化と歳入確保を打ち出し、ようやく財務指標に好転が見られるようになった。この3年間の取り組みについて熊谷氏自らが振り返った講演の内容を、4回に分けてお伝えする。
→第1回:「なぜ千葉市で政令市最悪の財政が生み出されたのか」
熊谷 千葉市の財政状況ですが、1988年には2000億円ほどしか借金がなかったのが、爆発的に借金が増えて1兆円を越えました。それから財政調整基金※、いわゆる貯金ですが、それも全部崩してしまって、200億円ほどあったのが7億円ほどになってしまって、それ以外にも基金はたくさんあったのですが、ほとんどの基金は取り崩してしまいました。
歴代の市長は右肩上がりの絵を描いて、その中で予算を作ってきました。そこのかじを変えられなかったんです。さっき言ったようなしがらみが続き、いろんな人たちから応援してもらったので、蛇口を閉めたくても多分できなかった。もう1つは、何とか大丈夫だという楽観的な気持ちもあったのではないか。この2つの中で借金だけが増えてきてしまいました。
実質公債費比率※や将来負担比率※※という財政指標が連結ベースで政令市ワースト1位ということで、「何で議会は止められなかったんだ」とよく言われます。ただ、実質公債費比率や将来負担比率は、要は連結ベースで見るということです。夕張市が破たんした時に飛ばしをやっていたので有名だと思いますが、それは外郭団体や連結子会社に損失を飛ばして、4月1日時点に瞬間的に見えなくしていたんですね。
今までは特別会計とかはほとんど単体でしか分からなくて、一般会計ばかりみんな見るので※、飛ばしちゃえば分からなかったわけです。千葉市もいろんな形の財政手法を使って、事実上の飛ばしをやっていて、連結ベースで見ると悪いのですが、議員は「まだ大丈夫だろう」というくらいの感覚だったんです。夕張市が破たんしてから、連結ベースの指標で見ることに国が変わって、千葉市は政令市最悪に一気に躍り出てしまったわけです。
私が6年前に議員になったころ、こういう状況にまだ議員の全員は気付いていなかったですね。半分くらいの方は分かっていましたが、もう半分くらいの方は「厳しくても今までは何とかやってきたじゃん」という感じで、こういうやり方が限界に近付いていることにピンときていなかった方がたくさんいらっしゃいました。
そういうことで、脱財政危機宣言を出したわけです。脱財政危機宣言というのは「これからちゃんと財政を良くしていくよ」という宣言で、やることは当たり前のことばかりです。収入を増やすためにちゃんとお金を徴収するということ、余っている資産は売るということ、受益者負担がないものから最低限のお金はとるということです。
お金を削るところでは人件費を見直すこと、民間でできるものは民間に任せること、OBの天下りとかいらない外郭団体が生き残っているものをつぶすこと、事務事業を徹底して見直すこと、建設工事を本当に必要なものだけに絞っていくこと、こういう当たり前のことをやっていくわけです。
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