尖閣諸島をめぐる対立から、まだ回復していない日中関係。対中強硬派とも言われる安倍晋三氏が首相となったこともあり、その推移が注目されていたが、与党公明党の山口那津男代表が習近平総書記と会談するなど、雪解けに向けての努力がなされている。
そうした中、2010年6月から2012年12月まで初の民間出身駐中国大使を務めた丹羽宇一郎氏が、1月28日に日本外国特派員協会で会見。「日中両国は何千年と隣国にあり、これからも住所の変更はできない。嫌でもあるいは我慢してでも一緒に仲良く努力していく以外、道はないんだということを両国民がしっかりと心に刻んで、これからも努力をする必要がある」と主張、尖閣諸島問題については棚上げが適切という認識を示した。
丹羽 まず、私の日中関係についての基本的な考えを述べさせていただきたいと思います。
歴史的なことを申し上げると、中国は伝説上の王朝時代は別として、甲骨文字で実証が証明された紀元前1600年ごろの殷の王朝から17の時代区分があり、その間、治乱興亡の約4000年の権力闘争の歴史と言えます。最後の王朝の清は孫文の辛亥革命で滅びましたが、その後の100年間、そして今も大きな視点で見れば権力闘争が続いていると言えるだろうと思います。
中国だけが権力闘争を続けていると申し上げるわけではありません。権力闘争の強弱や大小を別にすると、人間の組織や集団は権力争いから脱却することはできません。現在も世界には約200におよぶ国がありますが、各国がそれぞれの国内情勢を抱えています。
日中両国も同じで、その両国が2国間だけではなく、複数の国との間でさまざまな問題を抱えています。各国はこの複数国との関係状況を反映した形で、各々の二国関係に対応していると言えると思います。
やや長いイントロダクションをしましたが、日中が国交正常化した1972年の日中共同声明の前にはさまざまなことがありました。
例えば、1956年からの中国とソ連の対立がありました。これはソ連のフルシチョフ書記長のスターリン批判がきっかけです。中国とインドの国境紛争が起きました。米国と中国の正常化の動きが、キッシンジャーの訪中(1971年)を契機に始まりました。米国がベトナムから撤退することが、ほぼ確実になってきていました。
日本と中国の関係だけでなく、今申し上げたような、日本と中国を取り巻くさまざまな政治情勢、環境が日中共同声明にかなりの影響をおよぼしたということを申し上げたいのです。
現在、そういう目で日中関係のこれからを考えてみる必要があるということです。つまり、中国や日本を取り巻く環境はどうだろうか、どのように変化をしているだろうかということです。日本とソ連、中国とソ連、中国とインド、中国とベトナム、ASEAN諸国、中国と北朝鮮、日本と北朝鮮、米国と日本、米国と中国……我々はそうしたさまざまな環境の変化から目をそらしてはいけないわけです。それらを考えながら、日中関係がこれからどのように変化していくか、あるいはどのようにしていくかを我々は考えていく必要があるということを申し上げるために、今、長々とご説明したのです。
私はあちこちで講演したり、お話ししているわけですが、日中関係については非常に難しい時期に来ていますが、桜の花が咲くころには暖かい風が吹き、氷は解け始めるだろうと言ってきました。それは、そういった経済を中心としたさまざまな環境を考慮した上で、申し上げたわけです。日本と中国だけの状況で判断してはいけない、そういう環境が整ってきているということを申し上げたわけです。もちろんその時は、北朝鮮がミサイルを撃つことは知りませんでしたが。
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