『津波の墓標』を読み進めるうち、震災取材で沿岸各地を駆け回った日々の事柄が鮮明によみがえる。次第にページをめくる手が小刻みに震える。一応、私は物語を紡ぐことをなりわいとしている。だが、プロという感覚を易々と忘れさせてしまうほど、本書の筆致は鋭い。
取材で沿岸を駆け回った筆者だけでなく、今も現地で暮らす人々のほか、沿岸の被災地を訪れたことのない読者にも、その鋭く尖った言葉の数々が突き刺さるはずだ。
『遺体』の中で、著者は震災によって命を奪われた人々、そしてその家族や友人の生の声を取り上げた。多くの新聞やテレビがトラブルを恐れて回避した「死」を真正面から扱ったことで多数の読者を獲得し、多くの支持を得たのは私が説明するまでもないところだ。
本書『津波の墓標』は、著者が広範に取材したデータを、「避難所」「遺体捜索」などさまざまな切り口から記している。先ほどから繰り返し指摘しているが、今まで新聞や雑誌、テレビなどで報じられることのなかった「容赦のない死」や、現地で今も生活する市民の複雑な精神状態なども伝えている。換言すれば、放送コードなどでメディアが自主規制して、オブラートに包んでしまった出来事が、被災者の剥き出しの言葉とともに伝えられているのだ。
震災から2年近い年月が経過した現在、私のもとにはこんな声が度々寄せられている。「商売していると、たまに嫌味を言われるんだ。『東北はとっくに復興したはず。いつまでも被災者面するんじゃない』ってね」(ある商店主)……。
もし、中央の大手メディアがつぶさに取材を続け、現地の今を継続して伝えていたら、こんな酷い対応がなされることはなかったはずだ。
だからこそ、本書が持つ意味、換言すれば被災地の生の声を切り取ったメッセージが有効だと考えるのだ。
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