我々は経験から学べているか? 震災時のバックアップ問題から考える藤田正美の時事日想(1/2 ページ)

» 2013年03月18日 08時00分 公開
[藤田正美,Business Media 誠]

著者プロフィール:藤田正美

「ニューズウィーク日本版」元編集長。東京大学経済学部卒業後、「週刊東洋経済」の記者・編集者として14年間の経験を積む。1985年に「よりグローバルな視点」を求めて「ニューズウィーク日本版」創刊プロジェクトに参加。1994年〜2000年に同誌編集長、2001年〜2004年3月に同誌編集主幹を勤める。2004年4月からはフリーランスとして、インターネットを中心にコラムを執筆するほか、テレビにコメンテーターとして出演。ブログ「藤田正美の世の中まるごと“Observer”


 先日、テレビで震災後の航空自衛隊松島基地をリポートしていた。2011年3月11日当時、津波によって松島基地にいた戦闘機やヘリコプターなど合計28機が全滅した。航空自衛隊の中堅幹部に聞いたことがある。なぜ津波が来る前に飛び立てなかったのか。その幹部はこう答えた。

 「あれだけ大きな揺れがあった以上、滑走路の点検をせずに戦闘機などを飛び立たせることはできない」。そしてこう続けた。「でも救難ヘリを飛ばせばよかったと思う」

 当日は雪が降るなどの悪天候だったから、飛ばすことは考えなかったということのようだ。そして今では、もし大地震があれば15分以内にヘリを飛ばすか、あるいは水密になっている格納庫に収容することにしているという。

 経験から学んだというべきだろうが、ひとつ気になる映像もあった。訓練の場面だったが、地震発生後、基地の事務所1階にある部屋から書類やパソコンを回収し、避難させていた。あの3月11日には、それらが水に浸かったために、後の業務に大きな支障をきたしたからだと説明されていた。

 しかし分厚いファイルケースをいくつも持ち出している姿を見て、果たしてこれでいいのだろうかと思ってしまう。この大震災で沿岸の自治体は大きな被害に遭った。市庁舎が津波に襲われ、多くの職員が亡くなったところもたくさんある。そこでは多くの記録も失われた。住基ネットができていたために、住民の基本的な記録はバックアップされていたが、その役所にしかない記録が失われた。不動産などの権利関係がはっきりしなくなって、それが復興や住民の移転に障がいになっているケースもあると聞く。

 記録は重要だし、それをどのように保管しておくかも重要なことだ。そして今は、デジタル時代である。記録のバックアップはすぐにできる。問題をそれをどこにバックアップしておくかということだけだ。

 もう10年以上も前のことだ。営業マンが持ち歩くPCは毎日、オフィスに戻ってきたときにサーバーとつないでバックアップを取る。万が一、そのPCが壊れたり、失われたりしても、営業マンには前日までのデータが入ったPCが支給されるようになっていた。最悪、1日分のデータが消えることを覚悟すればよかった。今ではきっともっと進んでいると思う。どこにいても、PCをネットにつないだ状態にできる時代になっているからだ。

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