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» 2014年06月06日 07時00分 公開

上司は隣の部署の社員も評価しなければいけない――なぜそんなことを?上阪徹が探る、リクルートのリアル(3/5 ページ)

[上阪徹,Business Media 誠]

転職をしたような感覚

 3年目からの2年間は、鉄道会社や複数の県の観光課などの担当に。地域活性をやってみたい、という希望は、思いも寄らない形で叶えられた。そんな中、今度はリクルートの旅行事業という領域そのものを大きく見てみたい、と考えるようになる。事業の企画への異動希望を申し出たのが入社5年目のこと。

 「営業の仕事を通じて、事業や組織について考えたりすることが、もしかして向いているんじゃないかなと思ったんですよね」

 ところが、思わぬことが起きた。まさかの、違うところへの異動が決まってしまったのだ。それは経営企画だった。

 「まさに転職をしたような感覚でした。営業からスタッフ職に、領域も旅行しか知らないのに、いきなり全社のことを知らないといけない。使う言葉も分からない。会社の仕組みや制度も分からない。最初は本当に大変でした」

 今村氏はこの経営企画で4年間を過ごす。後半の2年は当時の柏木斉社長の秘書も務め、経営の第一線を垣間見ることになる。

 「会社がどんな案件を意思決定して物事を動かし、どれくらいの売り上げ、どれくらいの従業員を守っているのか、目の当たりにしました。改めて、経営というものが、いかに難しいか、いかに大変か、ということも知りましたね。

 一方で、経営企画の仕事には向く人と向かない人もいると感じました。ダイナミックな事業を担うというよりも、会社という器や基盤を作ることが仕事ですから、そこに意義を感じられるかどうか。従業員が楽しく働き、新しくビジネスを生み出し続けられる基盤づくりそのものに、僕はもともと興味を持てるタイプだったんだと思います」

 しかも、当時のリクルートは大きな転換期に差し掛かっていた。河野栄子社長から柏木社長にトップが交代。1兆円あった借入金が2000億円ほどになり、返済の見通しも立った。それまでの倹約方針を転換し、中長期戦略として成長に大きく舵(かじ)を切るタイミングだったのだ。そこで大きなテーマに掲げられたのが、さらなる成長に向けての人事制度の革新だった。この制度改革と導入に、今村氏は深く関わることになる。

 「当時のリクルートには、やや年功序列的な仕組みが残っていました。ある程度、年次がいけばリーダー職やマネジャー職になったり、組織長ではないけれど、年次を重ねているから、とマネジャーと同じ給料をもらえていたり」

 1990年前後、リクルートは700人、800人といったスケールで新卒採用を行っていた。日本企業の多くが大量採用した人材の高年齢化に直面することになったが、もちろんリクルートも例外ではなかった。問題は給料だけにあるのではない。ポジションも同様だ。もし年次や年齢がポジションの決定に大きく影響を及ぼしてしまったとしたら……。だが、リクルートは、この問題に真っ正面から向き合ったのだ。

 「大事なことは、本当に力があって、できる人、しかるべき人が、しかるべきポジションに就ける環境を作る、ということです。仕事と報酬をセットにし、それが本当にできる仕組みを作らなければ、未来の成長はない、とリクルートは考えたわけです」

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