世界の頂点に上り詰めた「タカラベルモント」のサクセスストーリーとは?人に話したくなるコラム(2/3 ページ)

» 2014年10月23日 08時12分 公開
[藤井薫,Business Media 誠]

行動力と決断力が早い

 そして1955年、通産省(現在は経済通産省)の主催で開催された米シアトルの「国際貿易見本市」に、タカラベルモント社は24台の理容イスを出展。初めて米国で製品を販売する機会を得た同社は、そこですべての商品を売りつくしてしまう。自信を深めた創業者はシアトルからその足で、米国、中南米、欧州へと視察に回ったという。

 翌1956年には、米国に進出した日本で4番目の企業としてニューヨークに現地法人を設立する。現地のニーズを肌で感じ、顧客が喜ぶモノとサービスを的確に生み出す――そのために同社がとった行動力と決断力の早さが後の成功につながる大きな転機となったのは間違いないだろう。

 順調そうに見える海外進出だったが、さまざまな苦労もあったようだ。見本市で売り切ったとはいえ、初期の製品は米国製品と比べて品質が劣っていたため、現地でなかなか相手にされなかった。製品のトラブルも続出し、現地法人の社員は英語もままならない状態で、顧客のもとに足を運び、必死で謝りながら修理を行った。そして、その熱意が徐々に浸透していき、米国での評価を上げた。

 また同社の製品が米国でシェアを伸ばす要因となったのは、米国メーカーと比べて安い価格設定であったこと、さらに次々と新商品を発表したことだった。当時、米国メーカーは、古いモデルを販売し続け、在庫を持たず納期までに時間がかかっていた。

 1970年に発行された『Time』誌の記事によると、タカラベルモント社製のバーバーチェアは、米国内の競合ブランドより20〜30%価格が安かった。そして、18カ月ごとに新商品を発表するため、競合の上を行く高性能な製品を提供できたと分析している。タカラベルモント社がシェアをどんどん拡大したのは当然の結果だったといえる。

 そして、タカラベルモント社の評価を不動のものにした製品は、1962年に発売された理容イス「#808号」だ。この製品は、世界で初めて電動昇降ポンプを搭載。手動で力の要る理容イスの昇降を電動化し、理容師のデリケートな手を守る「それまでにない商品」として大ヒットした。従来品の倍の値段にもかかわらず、飛ぶように売れたという。

タカラベルモント社製の理容イスは、高価格にもかかわらず、飛ぶように売れたそうだ(出典:タカラベルモント、転載不可)

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