こうした報道が持つ「社会が議論すべき論点を設定する機能」を「アジェンダ・セッテイング」という。だからかつては「社会人なら新聞くらい読まなければならない」という「常識」が成立した。逆にいうと市民は朝日なり日経の一面やNHKのニュースを見ておけば、次の日に何が話題になるか知ることができた。こういう「そこに行けば社会の関心が分かる中心地」を私は「ニュース・センター」と呼んでいる。
インターネットがマスメディアの主流になって、この「ニュース・センター」は消滅した。「ここに行けば社会の関心が分かる」というメディアがなくなってしまったのだ。基本的にネットユーザーは「見たい情報」を自分で取捨選択する。仕事の飲み会で「ダメよ〜ダメダメ」というギャグを聞けば、それをGoogleで検索し、お笑い芸人「日本エレキテル連合」を見つけ、動画をYouTubeで見る。そちらに時間を割く。
メディアが増え情報の流通量が増えても、人間には等しく1日24時間しかない。何かを選択すれば、何かが捨てられる。ブラウザ上では、朝日もNHKもエレキテル連合もフラットに等価である。いくら『朝日新聞』が「こちらのほうが重要なんだ」と力んでも、ユーザーが「朝日よりエレキテル連合のほうが時間を割く価値がある」と判断すれば、選んでもらえない。
こうしてユーザーがネットを通して見る「現実」は、限りなく「それぞれの関心や好みにカスタマイズされた現実」=「パーソナライズされた現実」に変貌していく。TwitterやFacebookといったSNSに至っては、誰をフォローするかによって流れ込んでくる情報が一人ひとり違う。つまり、案外気づかないが、SNSを通してみる「現実」は「一人ずつパーソナライズされた現実」なのだ。
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