銀座で「異変」と呼ばれている女性は、“てっぺん”を手にしたのか仕事をしたら“銀座のママ”になった(後編)(2/5 ページ)

» 2015年01月28日 08時00分 公開
[土肥義則Business Media 誠]

ナンバーワンになれなかったら辞める

桃谷: はい。日本であればネクタイをもらったお客さまは「いいネクタイですね。ちょっと付けてみるか」と言って、その場で付ける。ケーキを食べて「おいしい」と言って、その場が盛り上がる。海外の方も同じように喜ばれると思っていたのですが、違いました。お客さまというのは、プレゼントをされると喜ぶ……と自分が勝手に思い込んでいたんですよね。

 こうしたつらい経験を生かして、今では海外のお客さまが来店されるときには、必ずその国のさまざまな情報を得るようにしています。

 お客さまと私は“鏡”だと思っています。私が誠心誠意やっていれば、必ずいろいろなことが返ってくる。しかし、私のミスによってヒビが入ってしまった鏡は、なかなか修復することが難しいですね。

土肥: 桃谷さんは大学を卒業されて、クラブの世界に入られたわけですが、そのときに何か目標を決めていたのでしょうか?

桃谷: 大阪の北新地で働くときに「この世界で3年経って、ナンバーワンになれなかったら辞めよう」と決めていました。また「ナンバーワンになって、2年後にママになる。なれなければ辞めよう」と決めていました。

土肥: ちょ、ちょっと待ってください。その目標ってものすごく高いですよね。

桃谷: バブル崩壊後、銀座のクラブでなかなか若いママが誕生していませんでした。そうした環境の中で、「3年以内にナンバーワン、その後2年以内にママになる」という目標は確かに高いかもしれません。

 3年経って結果が出なければ、自分はこの仕事に向いていない、と思っていました。なので「3年以内にナンバーワン、その後2年以内にママになる」という目標を設定して、そのために今自分は何をしなければいけないのか。逆算しながら、やってきました。

 日本がバブル経済に沸きあがっていたころ、銀座には若いママがいました。時代は違いますが、その人たちにできて、自分にできないはずがない、とも思っていました。であれば、自分に欠けていることは何か。できることは何か。考えて、考えて、お客さまを増やすことに全力を注いできました。

 バブル経済のとき、銀座にはクラブが3000軒ほどありました。バブル経済の崩壊、リーマンショック、大震災などの影響で、現在は激減しました。それでもたくさんある中で、お客さまに「優希ママのいる店に行こう」と思っていただけるには、どうすればいいのか。やはり、ひとりひとりのお客さまを大切にしなければいけません。そうすると、お客さまができる。ひとりのお客さまは“点”かもしれませんが、たくさんのお客さまがつながれば、それは“点”から“線”になって、やがて“数珠”のようにつながっていく。

長引く景気低迷を受け、銀座のクラブは激減した(写真はイメージです)

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