もうすぐ40年! 宅急便のこれまでとこれから特集・進化する物流ビジネス最前線(1/3 ページ)

» 2015年04月02日 07時00分 公開
[吉岡綾乃ITmedia]

 今や日本人の暮らしに欠かせないサービス、宅配便は、2016年に40周年を迎える。日本全国どこへでも、翌日配達(一部の地域を除く)で荷物を送れるこのサービスは、日本の優れた物流システムの一つの代表例といえる。

 宅配便サービスが登場する前まで、個人が荷物を送るには、郵便小包か国鉄小荷物しか方法がなかった。1976年、大和運輸株式会社(現在のヤマト運輸)が個人の荷物を集荷・配達するサービス「宅急便」をスタート。これが日本の宅配便の始まりだった。

 それから約40年。今や日本では、年間35億個以上の荷物が宅配便として運ばれており、ヤマト運輸、佐川急便、日本郵便の3社でシェア9割以上を占める。宅配便サービスはどのように始まり、発展してきたのか? 現代の課題と、それを解決するための取り組みとは……宅配便サービスの祖であり、業界シェア1位、「宅急便」の商標を持つヤマト運輸に取材した。

クール集配便とコールドバック(1984年、提供:ヤマト運輸)

1976年、宅急便サービススタート

1976年1月、宅急便の最初のチラシ。ガリ版刷りで、当初から「電話一本で翌日お届け」というコンセプトだった(上)。1976年3月、初のテレビコマーシャル(下、提供:ヤマト運輸)

 ヤマト運輸の前身、大和運輸は東京・京橋で創立した会社で、当初は三越百貨店の荷物を東京近郊に運ぶ運送会社だった。1973年に起きたオイルショックなどの影響を受け、業績不振に苦しんでいた同社は、一般の家庭から家庭へ荷物を送れる小口輸送サービスに着目して、宅急便をスタート。この成功によって会社を成長させていった。

 1975年当時、日本で送られていた郵便小包の数は、年間1億5649万個、国鉄小荷物は7935万個。これに対して、1976年に大和運輸が取り扱った宅急便の発売開始初日の取り扱いはわずか11個だったという。

 初期の配達エリアは関東圏一円のみ。これが東名阪の高速道路沿い、東北や中国地方、九州、北海道……と全国主要都市へと配達エリアは徐々に広がっていった。1997年には小笠原諸島(父島・母島)も配達エリアに。日本全国どこへでも、翌日、または翌々日までに荷物を届けられるサービスへと成長した。

1980年代のようす。この頃にはほぼ日本全国へ送れるようになっていた(提供:ヤマト運輸)

初めは「送る人」、今は「受け取る人」の便利を考えたサービス開発

 最初の頃は、届けたい人に届くというだけで便利と思ってもらえた宅急便も、時代とともにさまざまなサービスが拡充されていった。大きく分けると、1980年代までは荷物を出す人のニーズを、1990年代以降は荷物を受け取る人の都合を考えて、サービスが開発されていったという経緯があるという。

1983年にスタートしたスキー宅急便(提供:ヤマト運輸)

 前者に当たるのが、スキー宅急便(1983年)、ゴルフ宅急便(1984年)、クール宅急便(1988年に全国展開)といったサービス。そして後者に当たるのが、時間帯お届けサービス(1998年)、メール通知サービス(荷物の届く時間を事前に知らせ、都合が悪い場合は受取日時を変更できる。2002年)、宅急便店頭受け取りサービス(不在時に届いた荷物を、指定したコンビニや直営店で受け取れる、2006年)、宅急便受取場所選択サービス(通販で商品を買うとき、コンビニを受取場所に指定できる)などである。

 「宅急便がもっと便利に」というコンセプトで機能拡張が進められているのが、2007年にスタートした個人会員制サービス「クロネコメンバーズ」だ(参照リンク)

 送る人向けには、送り状の発行が簡単になる、PCや携帯電話から集荷依頼ができる、宅配ロッカーから荷物の発送ができる、利用回数に応じてポイントがたまる……といった機能がある。受け取る人向けには、荷物が届く日や時間帯を事前にメールでお知らせする、そのメールから受取日時や場所を変更できる、不在時に荷物が届いたらメールでお知らせ&再配達依頼ができる、引越しても1年間は旧住所に届いた宅急便を新住所へ転送する、といった機能を提供している。

クロネコメンバーズの機能
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