藤川球児が独立リーグ入りを選んだ「真の狙い」赤坂8丁目発 スポーツ246(1/4 ページ)

» 2015年06月02日 19時45分 公開
[臼北信行ITmedia]

臼北信行(うすきた・のぶゆき)氏のプロフィール:

 国内プロ野球、メジャーリーグを中心に取材活動を続けているスポーツライター。セ・パ各12球団の主力選手や米国で活躍するメジャーリーガーにこれまで何度も「体当たり」でコメントを引き出し、独自ネタを収集することをモットーとしている。

 野球以外にもサッカーや格闘技、アマチュアスポーツを含めさまざまなジャンルのスポーツ取材歴があり、WBC(2006年第1回から2013年第3回まで全大会)やサッカーW杯(1998年・フランス、2002年・日韓共催、2006年・ドイツ)、五輪(2004年アテネ、2008年北京)など数々の国際大会の取材現場へも頻繁に足を運んでいる。


 驚いた人がほとんどだったはずだ。テキサス・レンジャーズからフリーエージェントになっていた藤川球児投手が独立リーグ・四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスに入団することが決まった。次の進路について藤川は「国内か引退」という姿勢を見せていたが、その選択肢の中にまさか独立リーグのチームが入っていたとは大半のメディアも予想できなかったようである。

 自身の公式ブログで高知の独立リーグを選んだことについて「僕と妻の生まれ故郷の高知で、未来のスーパースターになるチャンスを持った子供達に僕が投げる姿を見てもらって今後の夢に繋げて貰いたい! 僕が投げる事で喜んでくれる人達の顔が見たい。僕を応援してきてくれた人達、育ててくれた高知から野球人生を再スタートする事に決めました。高知ファイティングドッグスでプレーすることになりました」(原文のまま)と、その理由を述べた。

 同ブログで藤川はシカゴ・カブス時代の2年前に右ひじのじん帯再建手術(トミー・ジョン手術)を受けたことで心境の変化があったことにも触れている。

 「リハビリ中に沢山の事を考える時間が出来ました。今まで当然の様にボールを毎日投げられていたのに投げられない。たった5m投げられる様になって喜んでました。その距離が少しずつ伸びるにつれて僕の考え方も変わっていきました。元気になったらとにかく投げる喜びを1番に感じられる場所で腕を振りたい。必要とされる場所で投げたい。そして家族と一緒に居たい」(原文のまま)

 これは紛れもない本心だろう。しかし、それを実行することはなかなか容易ではない。かつて栄光を築き上げてきた人物があえて“陽の当たらない場所”へ進む決断をするというのは相当な覚悟と勇気が必要になるからである。一体、何が藤川をそうさせたのだろうか――。その決断を下した背景には、彼がメジャーでぶち当たった屈辱的な挫折があることが重要なポイントとなるだろう。

自身のブログで今の心境を綴っている(出典:藤川球児オフィシャルブログ
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