いま、日本ではカンヌ国際映画祭やヴェネツィア国際映画祭で受賞した世界的な名作ですら、劇場で公開されることが急激に減っています。
前回は、80年代に栄えたミニシアター文化がバブルの崩壊と共に衰退し、日本ではアート映画を映画館で見る機会が減っているだけでなく、世界的にもアート映画が制作されなくなっている現状を伝えました。今回は、引き続き大寺眞輔氏のインタビューの後編をお送りします。
大寺眞輔氏は2013年に映画上映団体Dot Dashを立ちあげ、それまで日本に全く紹介されてこなかったポルトガルの映画監督ジョアン・ペドロ・ロドリゲス(※1)の作品を一気に公開しました。
この上映会は映画ファンの間で話題を呼び、連日会場では長蛇の列ができました。さらに、大寺氏は現在IndieTokyoという映画団体を立ちあげ、その主宰者として活動の幅を広げています。
いま、東京の映画のシーンでは何が起きているのか――今回も貴重な現場の声をお届けします。
――2013年、ジョアン・ペドロ・ロドリゲス監督の回顧上映を主催した経緯と映画上映団体Dot Dashを立ちあげた経緯について教えてください
大寺: 実は前回説明したように、世界的にアート映画の状況が危機的だからDot Dashを立ち上げようと思ったというわけでは必ずしもないんです。
前回述べた背景は自分が衝動的に起こした行動に対してあとからその理由を説明したものです。聞かれた通りお答えしましたが、これは実のところ順番として違います。この団体を立ち上げたのは、2つのある事件が起き、もっと皮膚感覚に根ざした衝動を感じたからです。
1つは3.11でした。
あの日、僕は東京の自分の部屋で仕事をしていました。マンションの3階から下を見たらマンション全体が揺れていて、これはヤバイなと思いました。一時期本当に東京に人は住めなくなるんじゃないかという話もかなりありましたし、感覚として日本の文化が終わるのかもしれないと感じました。
もう1つ、それとちょうど並行して2011年末の東京フィルメックス(※2)で映画のデジタル化に関するシンポジウムがありました。
映画館にとってデジタル化というのは非常に大きな問題です。実はミニシアターと呼ばれるタイプの映画館はほとんどもうかっていません。従来のフィルムの映写機は修理も全然必要なくて、1回買えば何十年も使えます。こうした映画館はほとんどもうけもない中でギリギリの経営をしてきました。
でも、映写機をデジタルにすると設備を丸ごと変えないといけないし、配給や金銭の回収システムもまるで異なってきます。大手配給会社の力が強くなって劇場も言うことを聞かないといけません。映画のデジタル化に伴う危機感があってこうしたシンポジウム(※3)が組まれたんです。
実際、デジタル化の影響でかなりの数のミニシアターがつぶれてしまいました。ミニシアターがなくなるとまだメジャーになっていない制作者も上映する場がなくなってしまいます。
例えば、これから映画監督になる人が友人などを中心に観客を数十人集めてインディペンデントでの上映を何度か成功させても、次に中規模のミニシアターで数週間にわたって上映をするというステップがなくなってしまうんです。そうなると映画監督は育っていきません。決して大もうけはできないアート映画で、それでも活動を続けていくための基盤が失われます。
2011年にそれはとても大きな問題だと感じました。その時に、自分にできることは何かと考えて立ちあげたのがDot Dashだったんです。それはほとんど衝動的なものでした。もっと言えば、映画を取り巻く状況全体に対する焦燥感に加えて、何か新しい面白そうなことができそうだと感じたから動き始めたというのが正直なところです。
そして、やってみるといろいろ大変ではありますが、基本、とても楽しい。楽しくなければ続けていません。そして、その行動にはどうやら意味があるらしいと思うからこそ、一層頑張ろうと考える訳です。
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