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日本の大学教育、ここが米国に「負けている」?ロサンゼルスMBA留学日記

米国のビジネススクールではリポートを企業の採用担当者に渡すなど、社会への関わりが強い。「経営の現場に近い」点を認識すれば、日本の教育も改善するはず。今回は日本と米国の大学の違いを紹介する。

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著者プロフィール:新崎幸夫

南カリフォルニア大学のMBA(ビジネススクール)在学中。映像関連の新興Webメディアに興味をもち、映画産業の本場・ロサンゼルスでメディアビジネスを学ぶ。専門分野はモバイル・ブロードバンドだが、著作権や通信行政など複数のテーマを幅広く取材する。


 MBAで学んでいると、日本の大学教育と米国ビジネススクールの教育とでは、いく分性質が異なる印象を受ける。一例として、筆者が受講しているメディア・ビジネスの授業をと取り上げよう。

 クラスの担当教授は、現在ハリウッドで働くプロデューサーであり、米国のTVネットワークなどと交渉しつつ自らのアイデアを映画化している人だ。仕事の合間をぬって授業を行うため、授業時間は19時から22時となっている。自分が手がけたプロジェクトを紹介したり(同教授は最近では「Saving Grace」というドラマのプロデュースを担当した)、脚本家やタレントエージェンシーといった業界の各種プレーヤーをゲストスピーカーに呼んだりと、映画/TV業界を身近に感じさせてくれる。

 期末試験ということで生徒に課せられたリポートの課題は「自分を米テレビ局のFOXに売り込んでみろ」という、何ともざっくりとしたものだった。

 「プロデューサーというのは、TVネットワークやケーブルネットワーク相手にピッチ(提案)を繰り返す人種だ。そのとき売り込むのは、自分のアイデアと情熱、もっというと『自分そのもの』である」――とは、教授の弁。要するに、プロデューサーの本質を身をもって体験しろということだが、この課題にはオマケが付いていた。

 「ちなみに君たちが提出したリポートは、私の知り合いを通じて、企業の採用担当者に手渡される。興味を引かれた人は、ハリウッドから連絡があるだろう。数人は面接に呼ばれるだろうし、実際に就職につながる人も出てくるかもね(笑)」

 同教授は事前に、クラスを履修する生徒全員に履歴書の提出も求めていた。これが、今回のリポートに添付されて企業に送付されるのだという。

 こうなってくると、大学院の授業なのだか、企業の採用活動なのだかよく分からないが、要はそれだけ“産学”の距離が近いということだ。ちなみに生徒は皆、何かしらハリウッドに興味を持っている人間ばかりだから、このリポート課題は「Awesome!」(すばらしい)といった様子だった。おそらくは、相当数が張り切ってリポートを書くのだろう。

白熱した議論の果てに、振り返ると

 MBAでは、クラスディスカッションをよく行う。これは筆者が直接体験した話ではないが、あるビジネススクールで特定の起業をした人を取り上げて「この局面で彼は、どう行動すべきだったのか」をテーマに議論する機会があった。

 「こうすべきだ」「いやまったくその逆だ」と、さまざまな議論が出尽くしたところで、おもむろに教授が「じゃあ、実際にその起業家に答えを聞いてみようか」とコメント。教授の「後ろを振り返ってごらん」と言うセリフに生徒が一斉に振り返ると、クラスの後部座席に見慣れない男が座っていた。

 彼は笑顔で立ち上がり、「話は大変面白く聞かせてもらった。実は僕が、このケースに登場した起業家です」と明かす、といった具合だ。その後彼がどのような行動をとったか、結果はどうだったか、つぶさに語ってくれたそうだ。

 筆者のスクールでは、上記のようなドラマチックな演出こそなかったものの、やはり多くの起業家がクラスに登場して体験談を語ってくれた。ある女性起業家が現在の悩みを語り、生徒たちがそれを解決するための「コンサルティング・プロジェクト」を遂行するという課題もあった。前述の事例でもそうだが、どこか社会の現場との距離の近さ、“理論”と“実践”の結びつきの強さを感じさせる。

 もう1つ指摘すると、教授の中に実際にビジネスを経験している人が多い。ファイナンスの分野であれば、米Skypeに投資をしたベンチャーキャピタルの人が出てきて「いかにして有望な起業家に投資をするか」という授業を行ったりする。あるいは米McKinsey & Companyでコンサルティングをしていた女性が教授となって、シナリオアナリシスの手法を教える、といった具合だ。

アカデミックな世界にこもる? 日本の大学

 筆者は日本の大学で教育を受けたが、国立の文系だったこともあってか、卒業まで企業と関わることが一切なかった。しばしば日本の大学は企業との結びつきが弱いと指摘されるが、その典型のような大学だった。

 教授陣も、頭脳面では優秀なのかもしれないが、社会との関わりがあまりなさそうな浮世離れした人も多かった。中には自分の研究にばかり熱心で、授業の準備はおろそかにする教授もいた。困ったことにそういう教授に限ってアカデミックな世界での地位が高く、某学会で開会のスピーチをしたりしていた。

 もちろん大学によっては、産学の連携を積極的に推進するところもあるだろう。実際に筆者も、何回か産学共同プロジェクトを取材させてもらった。また一部の大学では、企業と交流しつつ学生の就職活動を熱心にサポートすると聞く。ただ、そうはいっても全体にみて、大学およびそれ以上の教育機関による“社会への関わり方”が米国より希薄だろう。

 教育をめぐる議論は難しい。学術的な研究を極めることも意義があり、かつ面白かったりする。しかし米国ビジネススクールのように「経営の現場に近い」教育の優れている点を認識しておけば、日本の教育事情のさらなる改善に役立つのではないかと思う。

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