なぜベルクには人が集まるのだろうか? 新宿駅にある小さな喫茶物語(後編):嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(7/7 ページ)
「新宿駅から出て行け!」と、ビルオーナーから迫られている喫茶「ベルク」。そこで立ち退き反対の署名を集めたところ、1万5000人以上の署名が集まった。なぜこれほどベルクは愛されているのか? その謎に迫った。
米国型経営よ、さようなら! 日本古来の伝統的経営哲学よ、こんにちは!
前編の最終節で述べたことであるが、ベルクは、ベルクを取り巻くあらゆる存在との一体感の中で「生かされている」お店である。
そしてベルクとして、それを自覚し「どうすれば、もっと喜んでもらえるだろうか」と常に思うがゆえに、大多数の現代企業にとってはムダ・ムラ・ムリとしか思えないようなことでも、「それで喜んでもらえるのなら」と進んで実行し、それを自ら楽しんでいる。
ムダ・ムラ・ムリを楽しむ余裕――それは、ベルクを語る上での重要なキーワードであるが、この言葉には、実は別の意味もある。
すなわちムダ・ムラ・ムリには、上記のような内発的な意味合いのほかに、非連続な環境変化によってもたらされる、いわば外発的な意味合いも存在するのである。
分かりやすく表現するならば、ルミネからの立ち退き要求などは、典型的に「もはや権力の座にいないベルクに対する、新しい権力者からの理不尽とも取れる要求」であって、それは、ベルクにとっては、ムダ・ムラ・ムリ以外の何物でもない。
しかしベルクは、ある意味、それを楽しむ余裕を持っていると筆者は思う。
もちろんこの騒動によって、井野さん、迫川さんはもとより、ベルク関係者は非常に苦しい思いをされたに違いない。それでも、その後の経過、現在のお2人のご様子を見る限り、顧客やスタッフとの一体感の中で、この難局を軽やかに乗り越えつつあり、一歩引いたところで、それを楽しんでいるかのような清々しさを感じさせるのである。
数百年、あるいは千年を超すような年輪を重ね、幾多の戦乱や天変地異を乗り越えてきた老舗企業には、時の権力者との壮絶なやり取りの歴史が存在するものである。しかしいずれの場合にも、決して破滅的な対決へと向かうことなく、やはり一歩引いたところへ身を置いて、その状況を楽しむ余裕が存在している。
日本各地に点在する老舗企業とベルク―― 一見すると何の関係もなさそうに思える両者であるが、似通っているのだ。
しかし実は、現代における成功企業の特性をつぶさに観察してみると、多くのケースで、こうした要素が見出されるのである。
「米国型経営よ、さようなら! 日本古来の伝統的経営哲学よ、こんにちは!」。彼らは、心の中で、そう呟いているように思えてならない。
そう言えば、インタビューの最後に井野さんが複雑な表情を浮かべながら発した一言が忘れられない。
「経営戦略ですかぁ〜? ああ、そういうものって必要なんですかね……!?」
新宿駅東口で降りる機会のある人も、ない人も、ベルクにまだ行っていない方は、是非、一度、ご自身の五感でベルクを体感されてみてはどうだろうか?
きっと、今まで経験したことのない「何か」を感じ取ることができるだろうから。
→君はベルクに行ったことがあるか? 新宿駅にある小さな喫茶物語(前編)
嶋田淑之(しまだ ひでゆき)
1956年福岡県生まれ、東京大学文学部卒。大手電機メーカー、経営コンサルティング会社勤務を経て、現在は自由が丘産能短大・講師、文筆家、戦略経営協会・理事・事務局長。企業の「経営革新」、ビジネスパーソンの「自己革新」を主要なテーマに、戦略経営の視点から、フジサンケイビジネスアイ、毎日コミュニケーションズなどに連載記事を執筆中。主要著書として、「Google なぜグーグルは創業6年で世界企業になったのか」、「43の図表でわかる戦略経営」、「ヤマハ発動機の経営革新」などがある。趣味は、クラシック音楽、美術、スキー、ハワイぶらぶら旅など。
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