良いデザインとは何か?――深澤直人のデザイン論:郷好文の“うふふ”マーケティング(2/2 ページ)
デザインイベントの展示から熱くなるものをなぜか感じられなかった筆者。しかし、プロダクトデザイナーの深澤直人氏と写真家の藤井保氏のトークショーを聴いていて、熱くなれなかった理由に気が付いた。
見ようとしないと見えない輪郭
輪郭とは本来、溶け込むもの。見ようとしないと見えない。「お寺や教会の内部は暗い。それはお祈りする間に目が暗闇に慣れてきて、仏像やキリストがぼんやり見えてくる(ということを狙っている)。その祈りのプロセスが大切」と藤井さん。
ところが文明は「“明るさ”に価値をおいてきた。コンビ二やパチンコ店は煌々(こうこう)と明るい。明るいから隅々まで見えているはずなのに、実際は見えていない」と藤井さん。
いや、見ようとしない人ばかりになった。「ひとことで言うと何?」、そんな無思考を助長するTV番組や書籍、ネット情報や会話が氾濫。考えさせないからいつまでも輪郭が見えない。
「最後のピースが埋まっていないジグソーパズルは、そこが埋まっていないから目立つ。だがひとたび埋まるとすべてのラインが消える」と深澤さん。輪郭を消すのがデザインの仕事であり、暗がりの仏像やキリストを探すように、その痕跡を探すのがデザインの楽しさ。だが声高なデザインがいまだ多いし、探す努力をしない人が増えた。不幸である。
輪郭探しとは既視感の共有
輪郭探しとは既視感の共有でもある。それは体験したことのないことをまるで体験したことがあるかのように感じること。藤井さん撮影のボリビアのウユニ塩湖地平線(無印良品ポスター2003年)は、遠い国なのにどこにでもある感じがする。深澤さんの丸い加湿器も壁掛けCDプレーヤーも最初は奇抜なのに、すぐに溶け込む。どこかに既視感がある。
「既視感があるのは、(その写真やプロダクトが)輪郭を割り出しているから」
深澤さんは「人は分かっているから『ああ!』と声を上げる。冗談でも人はオチを言われる前から笑い出す。あらかじめ分かっているからこそ、冗談は通じる」と語る。
感動や共感は、他人との共通センサーを確認しあう作業である。共通の既視感をつかむものは「Ah!」と声をあげてしまう。デザインとは“事物をありのままに描写することで主題が見えてくる客観写生”を通じて行う「(環境や人との)調和」(深澤)。
良いデザインはどこから生まれる?
良いデザインとは何だろうか。「作ろう」「生み出そう」と力を入れすぎたモノには、デザインを相手に“溶けませるセンサー”が失われている。DESIGNTIDEの作品展示を見ていて気になったのはそこだ。デザインが勝ちすぎていてハマらない。人も情景もおいてけぼり。デザインがうるさい。
良い仕事とは、相手のことを考え抜くものだ。相手の目と自分の目を一致させる努力を続けて、ポンと視線が交差する時に、受注とかプロジェクトの成功が生まれる。ひとりよがりを捨て去ると良い仕事になる。良いデザインと良い仕事は同じだ。
良いデザインをするヒントも深澤さんからあった。それは「心のささくれを探す」。ささくれとは「どうでもいいような小さいこと、でもきっとみんなが何か思っていること、それに気づけるようになること」
ささくれもまた輪郭に宿る。プロダクトと人の境にある、ある種の違和感、ずれ。それを感じるセンサーを持てるかどうか。それをつまんでデザインと撮影の魔法をかけて、ぼやっと溶け込ませる。
「この人(深澤さん)は信用できる、と思った」
ショーの中で、藤井さんが2度言った。この言葉は思いのほか重かった。仕事や感性を認めたからこそ言ったのだ。確かに、2人の間で輪郭線は溶け込んでいた。
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