コラム
“ゲームとしての仕事”でいいの? そこに“祈り”はあるか(3/3 ページ)
「ゲームとしての仕事」が幅をきかせるビジネス社会にあって、「道としての仕事」に邁進できる人は幸福である。そこには自分を十全にひらきたいという祈りが必然的に起こってくる。
祈りは心の震えの発露である
誰しも、本当に死にものぐるいで仕事に取り組んだ時、深く意義を感じて職業に献身する時、「大いなる何か」につながる感覚、抱かれる感覚は必然的に生じる。その時、「祈り」も湧いてくる。
この「祈り」は、さい銭を投げて「宝くじが当たりますよーに」(ぱんぱん:柏手)の類の祈りとは違う。そんなお気楽で都合のいい「おねだりの祈り」ではない。震える心の奥底から湧き出す「やむにやまれぬ決意の祈り」だ。
「ゲームとしての仕事」が幅をきかせるビジネス社会にあって、私は、そんな純粋な発露の祈りのもとに仕事に向かえる人が1人でも多く増えればいいなと願うものである。
最後に、ゲーテ『ゲーテ全集1』(潮出版社)から――「教えてほしい。いつまでもあなたが若い秘密を」「何でもないことさ。つねに大いなるものに喜びを感じることだ」。(村山昇)
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