“うふふ”マーケティングと天職について考える:郷好文の“うふふ”マーケティング(2/2 ページ)
5年続いた連載も残すところ2回となった。記事かコラムかエッセイといえば、エッセイに近かった本連載。編集部の自由裁量のおかげで、私がおもしろいと思ったものを書いてきた。
顧客からどういわれたらうれしいか
私の3つ目の職、コンサルタントの仕事を例にとろう。
10年間で何十社、何百人のクライアントに出会ったが、およそ2つに大別できる。「すぐに儲かることを教えてくれ」という人と「長い目で会社を変えてほしい」という人である。前者とは呼吸が合わなかった。何だか盛り上がらない。コンサルを雇う費用は安くないので、じっくりを嫌うのは分かるのだが……。
一方、後者とはリピートで仕事することが多かった。私は「即席で儲かるアイデア」を出すタイプではなく、「これさえやれば大丈夫です」と断言するタイプでもない。組織や人や商品をじっくり観て「こうすれば変わるはずだ」と思い描き、組織の人の言葉を聞き取り、整理して「これですよね」とツッコミ返す――コンサルの導入を「考えて変わるきっかけ」にしてほしいのである。
「おかげさまで気づきました」「変わろうという意識が芽生えました」そういわれることがうれしかった。とはいえ何十ものプロジェクトの中で、顧客の心をそこまで動かしたのは、正直にいって2件くらいだ。そのうち1つは同行した先輩の力だから、たかだか1.5件に過ぎない。
だがその2件のことは忘れない。きっとクライアントもそうだと思う。このときは天職を感じた。
どういう感謝をされると一番うれしいですか?
あなたはどういう感謝をされると一番うれしいだろうか?
今の仕事でお客さまは、あなたの会社にどういう感謝をするだろうか? その仕事であなたはどんな感謝をされるだろうか? それがうれしいなら天職、疑念や偽善があれば、それはまだ天の低い職である。
私は文章でも「考えさせられた」「動かされた」「考えてみよう」といわれる文を書きたい。あとで思い出して「そうだったのか」といわれるものを書きたい。そういう感謝をされたい。そういうものは売りにくい。読まれにくいのも分かる。自分にも相手にもそれが自然だと分かったので、なるべく逆らいたくない。
先月、私が運営するギャラリーで写真展を開いた。お祝いの花が沖縄から届いた。それは「沖縄の現地の花」。花屋さんチェーンやネットで注文すると、送り先が東京ならそのエリアの店がアレンジして配達することが多い。わざわざ沖縄からというのがまず響いた。
しかもその梱包や案内が優れている。梱包にはビニールだけでなくプチプチ包装も使う念入りさ。案内状は生けた花の名前一覧がある。アレンジフラワーを長く楽しむ説明文まで入っている。ここまできちんとしている花屋さんは滅多にない。花屋ばかりか、このお店を選んだ贈り主まですばらしく思えた。
本当のマーケティングがこの花から見えてくる。贈り主の気持ち、贈られる人の気持ち、花の気持ちを考えている。顧客視点という言葉を本や記事からまねていない。このお花屋さんには天職で働いている人が多いと思った。
どう感謝されたら自分がうれしいか。何のために生まれたのか。せっかく生きたのだから、そうしたい。
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