「文脈(narrative)を創る」日本人になろう:グローバルエリートから見た世界(1/4 ページ)
海外で行われる国際会議・フォーラムに、日本人の出席者はあまりいない。これは何を意味するのか。「文脈を創る」グローバルエリートたちはどのようなことを考えているのだろうか。
グローバルエリートから見た世界:
金融メルトダウンに対し米国・欧州・日本が次々に歴史的な規模で「量的緩和」を行っているが、一向に出口が見えてこない。しかしそのような状況であってもグローバルエリートたちによる「新秩序の形成」は始まっている。
グローバルエリートたちは一体どういったコンセプトでこれからの世界を創ろうとしているのか? そうした中で、日本人は何を考え、どのように動けばいいのか? タイムリーな話題を切り口にして、日本人に足りない「新グローバル秩序形成に向けたコンセプト」を描いていく。
毎週1回綴っている英語の公式ブログでもその都度紹介してきたのだが、今年に入ってからさまざまな国々を訪れ、そこで行われる国際会議・フォーラムに参加してきた。ある時は基調講演を頼まれ、またある時はパネリストとして議論に加わることを求められる中、無論、気楽な「一出席者」として出席することもある。
どんな形で出席するにせよ、こうした国際会議やフォーラムは実にたくさんの気づきを私にもたらしてくれる。まず一つ、すぐに気付くこと。日本人がそうした場に出席していることは極めて稀(まれ)ということである。我が国ではこの手の国際会議やフォーラムというとすぐに「世界経済フォーラム(ダボス会議)」について語られることが多い。実際、ダボス会議には総理大臣を筆頭に毎年大勢の日本人が詰めかけ、グローバル・エリートたちと会っている。だが、それ以外の国際会議・フォーラムに頻繁に出席している日本人はあまり見かけない。専門的な分野別の会議では違うのかもしれないが、グローバル・イシュー(地球規模で解決が必要な問題)について幅広く語り合う場には日本人はいないというのが通例だ。
「国際問題は外交官が話し合えばよいもの。グローバルな課題についても最終的には外交官が話しておけばよいのではないか」
残念なことに我が国ではいまだにそう思っている人が多い。それでもあえて出席を、ということになれば一番ブランドがありそうな場である「ダボス会議」を選択し、そこに大挙して行っては物見遊山に会議を見学して、何となく雰囲気を感じ取ってくる、というわけだ。
政界・財界・官界・学界・メディアといった各界の種類を問わず、みんなそうなのである。そして時にはそのことだけをベースにして堂々と「グローバルとは何か」などと語る御大たちすらいるというのだから驚きだ。しかも世間はそうした人々を「グローバル人財の鑑」だともてはやしてすらいる。まったく困ったものである。
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