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乗り物文化の重鎮を追悼 種村直樹さん、徳大寺有恒さん杉山淳一の時事日想(3/6 ページ)

2014年11月6日、レイルウェイ・ライターの種村直樹さんが亡くなった。78歳だった。その翌日の11月7日、自動車評論家の徳大寺有恒さんが亡くなった。74歳だった。鉄道と自動車、それぞれを愛し啓蒙した重鎮が相次いで去った。鉄道ファン、自動車ファンの多くが喪失感を抱いた。その思いを、感謝、そして新たな希望へ昇華させたい。

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種村直樹の「種」を持つ人

 後年、種村さんは、自身のファンの人々と旅を共にし、その様子を旅行記に綴った。そのスタイルには賛否が分かれた。一部のファンだけを特別扱いするように見えたようで、羨望や嫉妬を招いたと思う。私も指南風の本以外は読まなくなっていた。しかし、今思えば、あの旅のスタイルは「ひとり旅もいいけれど、仲間との旅も良いぞ」を体現されていたと思う。種村さんの旅には、「日本列島外周気まぐれ列車」のように、ちょっとした冒険や難易度の高いチャレンジもあった。それが私には登山のようにも見えて、登山には仲間が必要だろうと思った。

 種村さんと旅をした人々は、種村さんの事務所でアルバイトするなどして、種村流の仕事術を身につけたと思う。今、その中の何人かは鉄道業界、旅行業界で活躍されている。実は、この連載コラムの2012年06月15日付「あえて現地に放り出す? 鉄道ツアーの仕掛け」に登場いただいた日本旅行の瀬端浩之さんもその中の1人だ。また、2014年1月に開催された「鉄旅オブザイヤー2013」授賞式でご一緒させていただいた鉄道ライターの栗原景さんもそうだ。最近になって種村さんのお弟子さんとお近づきになれて嬉しく、また、うらやましくもある。

 しかし、お弟子さんほどではないけれど、私のような一般読者も種村さんの著作を通じて学ばせていただいた。その知識や知恵は、しゃれた言い方をするならば、「種村直樹の蒔いた種」だ。お弟子さんたちは苗木になるまでそばにいられた。その差は大きいけれど、私の種も小さくはない。良い種をいただいたと、心から種村さんに感謝している。今、こうして鉄道ネタで物書きをしていられる。これも種村さんの種のおかげだ。

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