グローバルビジネスに「英語力」が必要なワケ:8言語マスター・新条正恵さんインタビュー(1)(1/2 ページ)
グローバルビジネスの世界で、日本人は「英語が苦手」なばかりに取り残されてしまっている――そう警鐘を鳴らすのは、外資系企業で長く働いてきた新条正恵さんだ。8カ国語をマスターした彼女に聞く、グローバルで通用する「生きた英語力」とは? 全3回。
高校時代に英国、大学時代に米国へ留学し、外資系企業に就職してからは米国とオーストラリアに赴任するなど、計7年半を海外で過ごした私は、米、英、豪の3つの英語を使い分けることができます。また日本語と英語の他にも、中国語、韓国語、スペイン語、トルコ語、タイ語、マレー語を習得しています。
米国留学中に台湾人のグループと親しくなって中国語を習得し、次にタイ人やマレーシア人とも交流を持つ中でタイ語とマレー語を学びました。日本に帰国すると韓流ブームが真っ盛りだったため、興味が湧いて韓国語を習得し、トルコとスペインが好きで旅行に行くうちに、現地の人ともっと深く話したいと思い、現地の言葉も勉強しました。私は新しい言語を習得するたびに世界が広がるのが嬉しくてたまらないのです。
社会人になってからは米国系、スイス系、オランダ系の銀行など外資系企業5社に勤務し、12年間、グローバル金融の世界でソフトウェア設計や新商品開発、業務改善の仕事をしてきました。
その際には香港やシンガポール、中国、インドなどアジア各国の人たちや、本社の欧米人など15カ国以上の人と共に働いていました。仕事では主に英語を用い、英語圏のネイティブとノンネイティブ、オンビジネスとオフ(パーティなど)、クライアントとアウトソーシング先、エグゼクティブ層から新米プログラマーなど、さまざまな相手と場面に応じたコミュニケーションを図ってきました。
こうした経験を通じて、私はグローバル社会において必要な「生きた英語力」を身につけ、それが今、語学講師として働く私の最大の強みになっています。
今、日本の仕事はアジアへと流出している
私は2002年から2009年まで、外資系企業のソフトウェア設計部門に勤務してきました。仕事の内容は主に、企業で使用する基幹システムやユーザーが利用するシステムの設計で、社内から上がってくるさまざまな要望を取りまとめて仕様化し、開発会社に発注してソフトウェア開発を進めていくというもの。いわゆる「ブリッジSE」と呼ばれる仕事です。
2010年からは社内コンサルティング部門に勤務し、従来の仕事に加え、社内の業務改善や新商品開発プロジェクトを推進する仕事もしていました。私が外資系企業に在籍していた12年の間で、金融やITに関する仕事は日本から海外へとどんどん流出していました。2002年頃には、多くの外資系企業のアジアの主要拠点は日本でしたが、今では金融部門は香港とシンガポールへ、IT部門に関しては中国、インドへと移り、さらに営業や顧客対応といった業務もその多くはシンガポールやインドへと移動しています。
最後に勤めていた米国系の銀行では、IT開発の8割以上を中国やインドの企業と設立した合弁会社にアウトソーシングしており、日本企業に発注する仕事はわずかでした。
アジアで活躍しようとしない日本人
あなたは世界の企業の中で、日本人がどれくらい活躍しているかご存知ですか。私が働いていた外資系企業の日本支社では、CEO、CFO、COO、CIOといった「CxO」と呼ばれる上級役員のうち、日本人と外国人の比率はおよそ半々。外国人の多くは本国から出向で来ている欧米人でした。
しかし、その上部組織であるアジア地域統括カンパニーになると、およそ半数が欧米人で、残りは香港系中国人が中心。残念ながら日本人のCxOはほとんどいませんでした。なぜか日本人は、世界では出世しないのです。
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