映画界を変える団体「IndieTokyo」のすべて:現代映画を考える(後編)(3/4 ページ)
自分たちで映画の現場を変えていく――そう話すのは、映画団体「IndieTokyo」の主宰者で映画評論家の大寺眞輔氏。いま、東京の映画のシーンでは何が起きているのか。前回に続き、今回はインタビューの後編を紹介する。
フラットでポップな団体を目指す
――IndieTokyoを立ちあげたときはどのような団体にしたいと思いましたか
大寺: IndieTokyoは間口が広く、ハードルが低くて入りやすいポップな団体を目指しています。いまはシネクラブに来るようなコアな映画ファンだけじゃなくて、ミニシアター自体も少なくなっているんだから、そちらの層に向けてもアピールするメディアを作らないといけないと思ったんですね。
それまで僕は、シネクラブに来るようなコアな客層に向けて何かを発信する立場だと思っていたけれど、2011年以降、ミニシアターが危機的な状況であるのだからその部分もIndieTokyoで肩代わりしようと思いました。
――具体的にどういった活動から始めたのですか
大寺:まずはIndieTokyoのFacebookページを作って、World Newsというタイトルで世界の映画情報を発信し始めました。いまはそろそろ自分たちのメディアへ移行しようということで独自ドメインに移行しています。将来的には、World Newsとは逆に日本の映画の情報を海外に向けて英語で発信したいと考えています。
日本と海外の垣根を超えて自由に交流しさまざまなな文化を生みだしていく基盤を作るための一つのステップになればと願っています。
――IndieTokyoでは他にどのような活動をしていますか
大寺: 現在は海外の映画情報の発信の他に東京の老舗名画座・新文芸坐で講演付きの映画上映会「新文芸坐シネマテーク」を主催しています。
これは新文芸坐のスタッフの人がたまたま僕がアンスティチュ・フランセ(※5)でやってきたようなシネクラブをやりたいということで声をかけてくれたんです。
ただそう言われたけれど、最初はシネクラブみたいなものではなくコミュニティーを作りたいと思っていた。シネクラブというのは基本的に一方的な場所なんですよね。トークがあってみんなが聞く。Q&Aなどはあっても、日本だとなかなか質問が出ない。
そうじゃなくてもうちょっと双方向的に対話できるパーティのようなこともしたかったんです。そこでフラットな場所でお互いが映画について話せるような企画を考えて、5月から渋谷のライブハウスLast Waltzで毎月ホームパーティというイベントを開催し始めました。
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