第22鉄 駅マンションに新撰組――“情報の秘境”流山線をゆく杉山淳一の +R Style(3/5 ページ)

» 2009年12月29日 12時52分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

生活路線なのに歴史観光もできる

 「小金城趾」という駅名があるなら、どこかに「小金城」があったに違いない。そこで携帯電話で地図アプリを起動し、近くに「大谷口歴史公園」を見つけた。行ってみたら大正解で、まさしくここが小金城趾だった。

 小金城は低い山に作られたようで、坂と階段を上がると広場があり、説明書きを発見した。城は南北方向に600m、東西方向に800mの規模で、丘陵地帯の地形を生かしつつ土木工事を加えたという。築城は1537年の室町時代。足利義昭が第15代征夷大将軍となった年だ。下総の豪族千葉氏の陣営、高城氏が、関東の大勢力となった上杉勢を牽制するために作ったとのこと。

 建物はなく、城の該当地域はほとんど宅地化されているようだ。それでもこの公園の一部には、敵の攻撃から守るための「土塁」、敵を誘い込んで叩くための「畝掘」、敵を足止めする「障子堀」などが発掘され、紹介されている。「畝掘」は下に粘土を撒いて滑りやすくさせていた。「障子堀」は目隠しに障子を貼るなどの工夫があったという。平城だから攻めやすそうだと思わせて、実はワナだらけという仕掛け。命がけだといろんなアイデアが出てくるものだなあと思う。

大谷口歴史公園の広場。小金城は常磐線の線路に達するほど広かったという(左)。小金城の防御施設「畝堀」。粘土質の地表が見える(右)
小金城の北門だった「金杉口」。正面と南に急斜面を設けて敵を排除する仕組みらしい(左)。帰り道に見つけた肉屋さんでコロッケとメンチを買った。「肉屋は素通りしない」これが+R Style(右)

 さて、流山と言えばもう1つ、忘れてはならない歴史の大舞台がある。新撰組の近藤勇が最後の陣を張ったところだ。電車に乗って流鉄の終着駅、流山へ行こう。駅前に観光案内の看板があるから、新撰組にゆかりの地を歩いてみたい。もっとも、+R Styleの主役は電車。流山駅には電車の車庫があるので、ホームからひとつひとつ撮影していく。もうすぐ走り出すという新車を見つけてうれしくなった。

流山駅に到着。電車はすべて愛称が付いている
車庫の奥にいた新型車両。整備中のようだ(左)。3両編成の若葉号は通勤通学時間帯に活躍(右)

 肌寒い中、駅員さんが僕のきっぷを回収しようと待っている。申し訳ない。でも鉄道好きの気持ちを分かってくださるのか、何も言わずに事務室に戻られた。改札を出るときに駅員さんに声を掛けてきっぷを渡す。ちょっと意外そうな表情を向けられた。きっぷを記念にほしいという人が多いのかもしれない。僕は「普通のきっぷは売り上げ精算業務で使うだろうから、もらってはいけない」と思っている。もともとコレクションには関心が薄くて、思い出に必要ならデジカメで撮るか、記念きっぷを買うほうだ。

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