田副 こんなの売れない、という話だったのがお客さんが付いたので、いよいよ本格的に商品化が始まりました。
企画書では10気圧防水、10年寿命、10メートル落下の「トリプル10」となっていましたが、電池の寿命がどうしても7年までしか保証できないということになりまして……「10・7・10」じゃ格好悪いので、防水を20気圧防水まで強めることになりました。当時の時計で防水機能というと、ダイバーズウォッチのような特殊な用途の時計が一部あったくらいですから、普通の方が使う時計で着けたまま泳げるようなものはかなり珍しかったですね。
――そして無事、1983年4月に初代G-SHOCKが発売になった、と……。米国では予定通り、1年で3万本売れたんですか?
田副 売れたんです。さすがですよね。セールスマネージャーの言うとおり1年かからずに3万本完売したので、2号機、3号機と毎年新モデルが出ました。最初50ドルで出していたのが、円高の影響ですぐに80ドルくらいになってしまったのですが、それでも売れ行きは変わりませんでした。
田副 米国で、アイスホッケーの選手がG-SHOCKを全力で叩くというテレビCMを流したのもこの頃ですね(参照記事)。あれは米国販社が作ったCMで、私たちはそんなことをするとは聞いていなかったので、CMを見たときは本社の人たち皆、かなりビックリしていました。その後、視聴者の疑問に答えるという番組で検証してくれたことがCM以上に評判になり、売れ行きにつながったのだと思います。
落としても壊れない、というコンセプトで作ったものですから、さすがにアイスホッケーで叩いたり、トラックにひかれたりといったことは想定していませんでしたけど、作っている私たちが思っているよりも、ずっとG-SHOCKは丈夫だった。耐衝撃にしても防水にしても、数字を出して保証する範囲にはかなり余裕があるのが普通です。絶対の自信がないと、保証というのはできないんです。うちだけじゃなく他のメーカーもそうだと思いますが、日本のものづくりでは「ギリギリで作る」という発想がないんですよね。
――米国では大ヒットということですが、それ以外の地域では売れていたんでしょうか。日本とか。
田副 米国以外は売れてないです(苦笑)。米国では年間3万本売ってたわけですけど、日本で作っていた量はその10分の1くらいだったと思います。値段は同じくらいで1万円前後だったんですけど。英、独もまったく反応なしでしたねえ。
――不思議ですよね、米国で「だけ」売れていたというのも。米国でそれほどG-SHOCKが受け入れられた理由は、何だと考えていらっしゃいますか?
田副 米国の人は「強さ」にステータスを感じてくれるんです。消防士とか、海兵とか、強い人が尊敬される。ああいう職業の人たちが好んでG-SHOCKを使ってくれたのは大きいですね。
それから、米国マーケットでは比較的低価格な時計がよく売れていたこともあると思います。最初50ドルで出て、その後80ドルくらいになりましたが、それでも日本やヨーロッパの高級時計に比べれば大分安いですから。
あとは、奇をてらわなかったことでしょうか……初代のG-SHOCKは四角いデザインですけど、あれは当初、もっと変わったデザインになる予定だったんですよ。丸とか。丸いデザインはその後、2号機で実現されましたけど。
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