この人がいなかったら、G-SHOCKは世に出なかった――田副美典さんG-SHOCK 30TH INTERVIEW(2/4 ページ)

» 2012年12月21日 11時53分 公開
[吉岡綾乃,Business Media 誠]

――点線で書かれていた?

田副 はい。大抵ラインアップ表は実線で書かれています。発売時期が間近な商品はもちろん実線で、点線で書かれているのはずっと先に発売するものくらい。そのタフネスは、1年後くらいに発売とあるので、実線で書かれていないとおかしいのに、なぜか点線だったんですよ。不思議な商品だなあ……と思って、1年先輩の増田に聞きに行ったんですね。「なんでこれ点線なの?」と。

――増田さんて、初代G-SHOCKの商品企画担当で、現在は取締役で時計事業部長の増田裕一さんのことですよね。

田副 そうです。その増田です。そうしたら「これ、まだ商品化の許可がおりてないんだよね」と言うんです。1年後に発売なのに許可がおりてないって、ずいぶん面白い商品だなあ、と気になって……それで、そのタフネスの情報を集めたり、営業に話を聞きにいったりしたんですね。

こんな時代に逆行した時計、売れるわけがない

田副 当時、腕時計のステータスといえばまず(男性用は)薄い、軽い、(女性用は)小さいと、この3つです。高級腕時計は特にそうでした。ところがG-SHOCKは厚くてゴツくて、しかも当時はステンレスで作ってましたから重くて、完全にステータスの真逆を行く時計だという話でした。ですから当時、営業はほとんど全員が「こんなもん、売れるわけないだろう」と言っていたんです。

 でも私は、その商品がどうも妙に気になりまして……コンセプトがすごく気に入ったんですね。当時腕時計といえば精密機械の高級品で、落としたらもちろん壊れてしまう。それなのに、G-SHOCKは「落としてもいいよ」っていうのが面白いなあ、と。これはなんとかして世に出したいと思ったのです。

――でも、営業マンが「売れない」って断言する商品は、推しにくいですよね。

田副 そうなんです。国内営業と話してもラチがあかない。そこで次に、海外営業を通じて、G-SHOCKを紹介してみることにしました。少しでもこの商品の応援団を増やしたいという気持ちだったんですね。当時、米、英、独の3カ国に現地の海外販社があったので、この3つすべてにG-SHOCKを紹介というか、売り込みに行ったんです。

 まだサンプルもない状態でした。どんな形やデザイン、質感になるかというのもまったく分からない。簡単な企画書だけ、というタイミングだったんですが、3つの販社のうち、米国のセールスマネージャーが1人だけ、この商品を気に入って話に乗ってくれたんです。「米国で、売値50ドル以下でやらせてくれるなら、3万本売ってあげる」と約束してくれました。

――当時の50ドルって、日本円に換算するとどれくらいですか?

田副 1万円くらいですね。今より高いですが、でも当時の腕時計の感覚としては安い。

――年間3万本って、結構多いですよね?

田副 多いですよ。1000本くらい作れればいいかなと私は思っていたんですから。それを3万本……本当にビックリしました。

 米国販社は、売ると言ったら3万本すべて買い取ってくれるので、本社の信頼は厚いんです。この数字を聞いて、あわてて増田に相談に行きました。そうしたら増田が「3万本作らせてもらえるなら、金型の作り方からして変わってくるからちょっと考える。でもその話、受けよう」と答えたんです。

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