他人に対するプライドを捨てられる人は、年下の人にも頭を下げて教えを請うことができます。ちっぽけなプライドではなく、自分の知識欲を満たしたり人脈を広げたりと、自分の成長にフォーカスしているからです。
本連載は、午堂登紀雄著、書籍『1つずつ自分を変えていく 捨てるべき40の「悪い」習慣』(日本実業出版社刊)から一部抜粋、編集しています。
「忙しい」という口グセ、完璧主義、自社基準の評価――あなたには「捨てたほうがいいかも」と思う習慣はいくつあるでしょうか?
時間と経験が積み重なると、自分でも気付かないうちに行動や思考が習慣化していきます。自分が本当は何を欲しがっていて、何がやりたいのかが分からないまま、情報や他人の意見に流されがちになります。
本書では、人生に「悪い影響」をもたらす40の習慣について、「捨て方」と「捨てて得られるもの」を具体的に伝えます。捨てたいと思うものを1つずつ捨てていくことで、あなたの人生は少しずつ前向きな方向に変わります。
プライドには、自分に対するプライドと、他人に対する「見栄」のプライドの2種類があります。
自分に対するプライドとは、たとえば「自分はこのくらいではへこたれない」とか、「自分はまだまだやれる」という、自己に対する信頼感、自らの可能性を信じる気持ちのことです。自身が依って立つ根拠であり、行動指針です。
その一方で、「年下の人間に使われるのは沽券に関わる」とか「自分から謝るのはプライドが許さない」などと考える人がいます。これが、ゴミの役にも立たないどころか、人生を台無しにする邪魔な感情の「他人に対するプライド」です。
彼らは、他人からバカにされたり、見下されたり、不遜な態度を取られたりすると、「プライドが傷ついた」「プライドが許さない」などと逆上します。彼らのプライドは、他人との関係性で優位に立ちたいという見栄にフォーカスされているからです。
年下だとわかると途端にタメ口になったり、飲食店で店員に横柄な態度を取ったり、自分の意見に反対されると猛抗議したりするのもこのタイプです。
「器が小さい」「ケツの穴が小さい」と言われるのは、彼らのように見栄のプライドにしがみつくあまり、他人の言動によって自分の感情が支配されている人のことです。
他人に対するプライドを捨てられる人は、年下の人間にも頭を下げて教えを請うことができます。ちっぽけなプライドよりも、自分の知識欲を満たすことや人脈を広げること、そして自分の成長にフォーカスしているからです。
そしてそのためには、相手を気分よくさせることが必要であり、「へりくだる」ことはタダでできる自分の販促手段であるとわかっています。そうした姿勢は一見「謙虚な人」と映りますが、名より実を取る、徹底的な現実主義者なのです。
しかし、そんなプライドが捨てられない人は、自分が「小物扱い」されることを極端に嫌い、こうした行為が自らを利する「人間マーケティング」だと考えることができません。こうして自らの成長のチャンスを逃します。
他人に対する見栄のプライドを捨てられない人の極端な結果が、日本ではありえないはずの「餓死」です。
「恥ずかしい」「自分が落ちぶれたと思われたくない」という見栄が邪魔して、他人に助けを請うたり、国民の権利である生活保護の受給手続きを申し出られないために、自分自身すら守れなくなってしまうのです。
借金の返済に困窮して自殺する人も同じ構造です。彼らはなぜか、国民の救済策である自己破産制度を利用しないで自ら命を絶ちます。
自己破産して困ることは、約7年間は借金できない、クレジットカードが作れない、特定の公的職業に就けないという程度で、ほとんど変わりない日常生活を送ることができます。官報には掲載されますがほとんどの人は見ていませんから、バレることもありません。
これもやはり、「自己破産なんて恥ずかしい」「周りに知られたらどうしよう」というプライドが邪魔しているから、自己破産より死を選ぶのではないでしょうか。
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