東芝と化血研に共通する「名門意識のおごり」とは何かスピン経済の歩き方(3/4 ページ)

» 2015年12月08日 08時00分 公開
[窪田順生ITmedia]

化血研は日本の誇りだった

 詐欺グループのような偽装テクニックに加えて、薬害エイズ訴訟でも被告になったというプロフィールを聞くと、この組織はなにやら「趣味は不正と隠蔽です」みたいなアコギな人間ばかりが働いているイメージを抱く人も多いかもしれないが、そんなことはない。

 「化血研」は東芝同様、戦後の日本の発展を支えてきた名門企業なのだ。前身は、大正末期の実験医学研究所という歴史をもち、一時期は世界最高水準の研究開発業績をあげた。ポリオワクチンを昭和36年(1961年)に発売して多くの人々を救った。また昭和55年(1980年)には、年間数十万人の治療に使われる献血ベニロンというワクチンも開発。さらに、日本で初めて遺伝子組み替えによるB型肝炎ワクチン開発に成功した。この当時、化血研は日本の誇りだった。実際に、昭和62年(1987年)11月19日の『日経産業新聞』で研究開発担当理事は「世界初の開発は米メルク社だが、特許申請でみれば化血研はメルクに一週間遅れただけ」なんて感じで胸を張っている。

 薬害エイズ問題で、名声は地に堕ちた部分はあるが、今もインフルエンザワクチンの製造で、国内シェア約3割を占めていることからも分かるように、製薬業界や研究者の間では誰もが認める「名門」である。ならば、三鬼氏が指摘したような「名門意識からくるおごり」がこの組織を蝕んだ可能性はないか。

 実際、今回の不正を調査した第三者委員会は報告書で興味深い考察をしている。

 化血研は、戦前熊本医科大学に設置されていた実験医学研究所を母体としているという出自や国内における血漿分画製剤開発のパイオニアの一社であるという歴史等から、その名のとおり研究所としての性格を色濃く持ち、製造工程にも研究者としての気質が反映されていた。化血研のそうした企業カラーは悪い面ばかりではないが、「自分たちは血漿分画製剤の専門家であり、当局よりも血漿分画製剤のことを良く知っている。」「製造方法を改善しているのだから、当局を少々ごまかしても、大きな問題はない。」という「研究者としてのおごり」が本件不整合や隠ぺいの原因となったことを忘れてはならない。

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