「スシボーイ、カモン」
さまざまな国籍の子どもたちが集うタイのインターナショナルスクール。体育教師が数人の日本人生徒を呼び止めた。他の生徒たちから笑いを取るための、軽いジョークのつもりだったのかもしれない。しかし日本人生徒らはそんなことで笑えるはずがなかった。
「言葉が通じないだけで、どうしてこんな扱いを受けないといけないんだ……」
生徒の一人は、腹の底から湧いてくる怒りを堪えるのに必死だった。一般的にタイに駐在する日本人の子女は、日本人学校で義務教育を受けた後、帰国して日本の高校に進学するか、現地のインターナショナルスクールに進学する。英語をほとんど話せないままインターナショナルスクールに進む日本人生徒たちは、周囲から見れば分かりやすい「よそ者」だった。
そのできごとからおよそ30年。当時の少年は今、日本で「家電業界の風雲児」として脚光を浴びている。アクア代表取締役社長兼CEOの伊藤嘉明(46)。二重橋前の内堀通りを一望できる東京・丸の内本社ビルの一室で、あの体育教師の一言が自らの生き方を変えたと振り返った。
「子どもの世界は大人の世界よりも残酷です。英語ができないというだけでひどい扱いを受ける。入学時に20人くらいいた日本人の同級生は皆、学校を辞めてしまいました。でも僕はその逆でした。『なにくそ』と思って、どんどん人前に出ていくようになったんです。元々やっていた野球に打ち込むだけでなく、『聖飢魔II』のコピーバンドを組んで顔を真っ白に塗ってステージに立つこともありました。その後、米国の大学に進んでからも、寮で夜通し行われる議論の中に積極的に飛び込んでいきました」
大学を卒業後、一度はタイの自動車メーカーに就職した伊藤は再び渡米して大学院でMBAを取得し、その後は日本コカ・コーラやデル、レノボ、ソニー・ピクチャーズ エンタテインメントなど、名だたるグローバル企業を渡り歩いた。業界や職種を問わない転職だったため、伊藤には常に「業界未経験の素人」というレッテルが付いて回ったが、いつでも必ず結果を残してきた。家電業界未経験の彼に白羽の矢が立ったのも、過去の実績を買われてのことだった。
「2013年6月ごろに、ヘッドハンターから『経営者として会社を建て直してほしい』というオファーがありました。調べてみると、その会社の経営状況はかなり深刻。周囲の誰からも、『絶対に行かないほうがいい』と忠告を受けていたくらいです」
伊藤が社長に就任したのは2014年2月。当時、アクアは「ハイアールアジア」という社名だった。白物家電の世界シェアで6年連続ナンバーワンを誇る中国の大手家電メーカー「ハイアール・グループ」が、旧三洋電機の冷蔵庫事業と洗濯機事業を約100億円で買収し、立て直しを図っていたが、旧三洋電機時代から15年も続く赤字経営から抜け出せずにいた。
そんな経営状況に加え、日本では既に斜陽とも言える白物家電業界での再生事業。茨(いばら)の道を歩むことは初めから分かりきっている。それなのになぜ、伊藤はハイアール アジアへの転職を決断したのか。
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