この時代の清原はそれなりの成績を残していたかもしれないが、とにかくグラウンド外の行動はとても誉められるようなものではなかった。2001年オフには、それを象徴するような出来事が起こる。年末の格闘技イベントに試合出場するとのウワサが広まり、本人もその気になって一気にヒートアップ。最終的に試合には出場しなかったものの、真相確認に追われた巨人サイドを大混乱に陥れたのだ。
格闘技の試合にプロ野球選手が出場すれば、当然のようにケガのリスクも伴う。仮にいくらリップサービスの部分が強かったにせよ、プロ球団に所属する主力選手としては余りにも軽率な行動であろう。さらに遠征先では毎晩のように豪快に飲み歩き、チーム内で若手の模範となるどころか秩序を乱す存在となっていた。
そういう存在であったにも関わらずファンからは「番長」と呼ばれて絶大な人気と熱烈な支持を得ていた。これに歯止めをかけようとしたのが、2004年に巨人監督に就任した堀内恒夫氏(現参議院議員)だ。その堀内監督はチーム内で“ガン”となっていた清原軍団を解散させるべく、まずはリーダー・清原のイメージ改革に乗り出し、就任早々から報道陣に「清原を『番長』と呼ぶな」と訴えた。
しかし、その試みもあっさりと失敗。清原人気が一向に衰えず、各メディアも「番長」のニックネームを使い続けたからだった。そして逆にこれが清原との軋轢(あつれき)を深めることにつながり、両者の関係は修復不可能な状態へと向かってしまうことになる。
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