激戦ラーメン市場、それでも「一風堂」が選ばれ続ける理由福岡から海外へ(3/4 ページ)

» 2016年04月07日 08時00分 公開
[伏見学ITmedia]

地域に愛されなくてはだめだ

 もう1つ、成長のドライバーとなったのが「土着化」である。

 一風堂は1994年に関東初進出を果たす。そのきっかけが、同年3月に神奈川県横浜市にオープンしたフードテーマパーク「新横浜ラーメン博物館」だ。同博物館は全国の有名ラーメン屋が集まる施設で、そのオープニング店舗の1つとして一風堂に声が掛かったのである。

 それまで一風堂は九州では知られた存在だったが、ほかの地域での知名度はまだまだだった。それがこの博物館への出店を機に、その名を一気に全国区に押し上げることとなった。翌1995年には東京で1号店となる恵比寿店をオープンするとともに、今では看板メニューとなっている「赤丸新味」「白丸元味」を発売した。時を同じくしてテレビ番組で取り上げられる機会も増えて追い風となり、ここから徐々に店舗網を全国に広げていった。

看板メニューの「白丸元味」 看板メニューの「白丸元味」

 全国展開する上で一風堂が重視したのが、その土地の風土や消費者の志向に根ざした店作り、すなわち上述した土着化である。例えば、博多のとんこつラーメンをより浸透させやすくするために、高崎店(群馬県)の「味噌赤丸」や、池田店(大阪府)の「百福元味」などの店舗限定メニューを用意するのもその一環。だが、それだけでは不十分だという。

 力の源ホールディングス 人財戦略本部の原智彦氏は「地域の人たちに受け入れてもらうためには、商品の味や店だけで勝負するのではなく、自ら外に出て行きファンを増やす取り組みをしなければならない」と説明する。

 その一例として、一風堂では2003年から各地域にある一風堂店舗近隣の小学生を対象に、食育出前授業を行っている。粉から餃子の皮やラーメンを作ることを体験させ、子どもたちにものを作る喜び、働く喜び、食べる喜びを伝えるのが目的だという。現在までに全国235校で開催した。こうした草の根的な活動を通して、地域の消費者の信頼をつかんでいった。

 「生き残りが厳しいラーメン業界において、全国の地域で商いをすることはとても大変。地域で愛されないと閉店してしまうという危機感があるので、それをいち早く実現するために土着化を進めた。地元の人たちが食べに来てくれるからこそ、われわれのビジネスが成り立っている。出前授業などの活動はその恩返しでもあるのだ」(原氏)

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