開業100周年事業が始まった木次線の「試練」杉山淳一の「週刊鉄道経済」(4/4 ページ)

» 2016年07月29日 06時45分 公開
[杉山淳一ITmedia]
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木次線開業100年、全線開通80年、おろち号20年

 良い兆候として、今年に入ってようやく木次線活性化の動きが出てきた。

 今まで、木次線の活性化についてJR西日本と沿線自治体の取り組みがないわけではない。その象徴がトロッコ列車「奥出雲おろち号」だ。除雪用のディーゼル機関車を春から秋まで転用し、団体用客車2両を改造した。うち1両は吹きさらし木製ベンチのトロッコ車両。残り1両は雨天時や厳寒時の待避用として冷暖房完備のリクライニングシートを備える。定員は1両分、車両は2両という贅沢(ぜいたく)な作り。鉄道ファンにとっては、客車最後尾側に運転席がある「プッシュプル方式」が珍しい。

 奥出雲おろち号は1998年に運行を開始した。木次鉄道部の成果の1つだ。車両は中古だから初期費用は少なかった。しかしメンテナンス費用はかかる。そこで2009年から、出雲市・雲南市・奥出雲町・飯南町による地域連携組織「出雲の國・斐伊川サミット」が運行費用を負担している。

 奥出雲おろち号の車両は今年春に定期点検・車両検査期限を迎えた。その費用も出雲の國・斐伊川サミットが負担した。奥出雲おろち号が日曜日を中心に山陰本線の出雲市駅発着となる理由も、出雲市がサミットに参加しているからだ。木次鉄道部と出雲の國・斐伊川サミットの連携が核になりそうだ。

 しかし、奥出雲おろち号にも老朽化の懸念がある。今年の車両検査で法令上は3年間の運行継続が可能になった。しかし木次鉄道部によると、「次回の検査は厳しい。これから壊れる部品によっては、3年以内に安全運行に支障が出るかもしれない」という。2代目おろち号の車両を手当てするか、他の観光列車を用意するか。その検討も必要だ。

 地域の人々にとって、木次線がいかに大切な存在か。木次線の取り組みを意識してもらいたい。その好機が今年、2016年だ。

 1916年に木次線の前身である簸上鉄道(ひのかみてつどう)が宍道〜木次間を開通させてから100周年にあたる。来年は国鉄木次線の全線開通から80周年。再来年は奥出雲おろち号の運行開始から20周年となる。地域の人々だけではなく、全国から注目したもらえる好機到来だ。これを生かしたい。

 簸上鉄道は、奥出雲でたたら製鉄を成功させた絲原家の当主が先頭に立って資金を集めて開業した。明治時代に近代製鉄が始まるとたたら製鉄は衰退。職住接近型の製鉄業によって人を集め「絲原村」と呼ばれる地域も、このままでは落ちぶれてしまう。そこで12代当主・絲原武太郎が鉄道建設を決意。13代の武太郎が開通させた。

 たたら製鉄の終了後、「絲原村」など奥出雲の人々は木炭生産に転じ、鉄道で出荷している。「地域を衰退させたくない」という絲原家の地域への思いが木次線を作った。その心意気を100年で消してはいけない。

 今年3月には木次線開業100周年実行委員会が設立された。委員長は奥出雲町長、副委員長に木次鉄道部長と雲南市長、監事として松江市長と広島県庄原市長が名を連ねている。Webサイトも立ち上がり、プレイベントがいくつも始まっている。さしあたり、どんなに小さくてもイベントのプレスリリースを出すべきだ。鉄道で言えば、奥出雲おろち号のヘッドマークが今年から変わり、木次線100年記念のデザインになった。出発式も行われたそうで、これだけでも鉄道ファンの関心を集める要素になった。

 実にもったいない。この好機を逃してはいけない。地域の人々の尽力に期待したい。

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