キャパニックの行動には、賛同する動きも出ている。騒動後には49ersのチームメイトがキャパニックに同調して国家斉唱で起立しなかったり、シアトル・シーホークスの黒人選手が起立しないというニュースもあった。また彼の言動を支持する署名活動も行われている(参照リンク)。
ちなみに暴言がウリの米大統領選の共和党指名候補ドナルド・トランプはすぐに、「彼(キャパニック)は、やりたいようにできる国を他に探すべきだ」と言い、国歌演奏の起立が嫌なら国から出ていくべきだと噛みついている。
キャパニックの件から、そもそも国内のスポーツイベントに国歌演奏は必要なのかという声も上がっている。もう米国は世界大戦を戦っているわけではないし、同時多発テロのような全米を大きく動揺させる攻撃によって愛国心を確認し合わなければならないわけでもない。
もっとも、現在では軍人のように国のために働く人たちに向けてリスペクトを示す意味合いが強くなっているようだ。だがスポーツイベントで国歌演奏を止めてしまえば、今回のキャパニックのような政治的なメッセージがからむ騒動も起きないだろう。国歌を流すこと自体が、政治的なメッセージだという見方もある。ならば、止めてしまったほうが皆にとってフェアではないか、と。
ただ日本からこうした米国の議論を見ていると、スポーツイベントの国歌演奏については今日まで刻まれてきた必然的な背景があり、その上でさまざまな議論が行われていることは建設的であると感じてしまう。
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