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» 2017年10月17日 06時40分 公開

再び食卓に:市役所に「鯉係」も 郡山が鯉の普及に躍起になる理由 (1/3)

市町村別で日本一の鯉の生産量を誇る福島県郡山市。かつては地元にも食文化として根付いていたが、今では一般家庭で調理する機会はほぼないという。そうした郡山に再び鯉を定着させようとする取り組みが始まった。

[伏見学,ITmedia]

 いきなりだが、皆さんは鯉を食べたことがあるだろうか?

 「泥臭い」「身がパサパサしてそう」。そんなイメージがあるかもしれない。実際、記者もそんな疑念を抱きながら、鯉料理の代表格である「洗い」を初めて口にしてみたところ、泥臭さなどはなく、あっさりした味わいだった。

福島県郡山市内にある鯉料理専門店「正月荘」の看板メニューが「鯉の洗い」だ 福島県郡山市内にある鯉料理専門店「正月荘」の看板メニューが「鯉の洗い」だ

 鯉の産地と言えば、ブランド鯉で有名な長野県佐久市や山形県米沢市を思い浮かべる人も多いだろう。しかし、養殖鯉の生産量に関して、市町村別で全国1位を誇るのが福島県郡山市なのである。2015年度の生産量は895トンに上り、福島全体の約8割を占めている。

 なぜ郡山なのか。実は郡山と鯉は切っても切り離せない歴史的なつながりがあったのだ。

郡山を変えた大事業

 郡山市の中心部にある開成山公園。憩いの場として市民から親しまれているこの場所にひと際目立つ石塔が建っている。かつてこの地を開拓した者たちの偉業を称えるモニュメントで、塔の下にはいくつかの人物像が配置されている。その1人が大久保利通である。

 大久保は言わずと知れた明治維新の功労者であり、日本の近代化を推し進めた人物である。彼が取り組んだ改革は数知れないが、その1つに「安積(あさか)疏水」という事業がある。

 元々、郡山エリアは地理的に水がほとんどない丘陵地帯であり、荒廃した原野が広がっていた。江戸時代末期には宿場町として栄えたものの、当然、農業などできる土壌ではないため、決して豊かな町ではなかった。

今では田園風景が至るところに広がっている 今では田園風景が至るところに広がっている

 転機となったのが明治維新だ。新政府主導による国費を使った開墾事業の第1号案件として郡山が選ばれた。それが「安積開拓」である。失業した士族に働く場所を提供するとともに、この地に新しい産業を作るという狙いの下、会津地方にある猪苗代湖から奥羽山脈を超えて水を引くという大規模なプロジェクトが1879年にスタート。総工費40万7000円(現在の貨幣価値に換算して約400億円)、のべ85万人の労働力を投じて、3年後に総延長127キロメートルにおよぶ安積疏水は完成した。

 これによって不毛の地は活力を得て、郡山で米作りが始まった。さらに疏水を利用した水力発電所が建設されるなどして、製糸業や紡績業といった工業も発展した。それらの産業が礎となって、今では東北地方で仙台市、いわき市に次いで人口の多い、約33万4000人(17年10月現在)の都市まで育ったのである。

【訂正:2017年10月17日11時35分更新】初出で都市人口の順位が誤っておりました。「仙台市、いわき市に次いで」と訂正します。

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