全力で駆け抜けた川崎宗則から、学ぶべきこと赤坂8丁目発 スポーツ246(3/4 ページ)

» 2018年03月29日 14時56分 公開
[臼北信行ITmedia]

川崎宗則の素顔

 メジャーに移籍する前年、川崎は現夫人である一般女性と入籍した。予想していたとはいえ、マリナーズとはマイナー契約となり、収入は大幅にダウン。何とか妻には理解してもらったものの厳しい現実に直面し、古巣から飛び出して理想にこだわり続ける自分を責めた時期も当初はあったと聞く。

 しかしマリナーズに移籍し、招待選手として参加したスプリングトレーニングの場では悩む姿を一切見せずに嬉々としていた。その後の保証がまったくないマイナー契約の立場に本音は不安で仕方がなかったのだろうと思う。それでもオープン戦で好成績を残し、それが結果として認められると悲願の開幕メジャーの座をつかんだ。

 その朗報が舞い込んだのは12年3月26日、ちょうどチームの日本遠征時だった。東京ドームのベンチで川崎は多くのメディアに囲まれると、突然着ていたユニホームを脱ぎ「今の気持ちはこれです」と一言。あらかじめ下に着用していた自前の“イチロー写真入りTシャツ”を披露し、改めて「イチローLOVE」の姿勢を示した。

 川崎の余りにストレート過ぎるアピールに対して報道陣から苦笑が漏れ、ややドン引きムードも漂ったものの、そんなことなど当人はお構いなしに自分を結果としてメジャーの世界に導いてくれたイチローに対する感謝の意を延々と繰り返し続けていた。その姿は今でも脳裏にハッキリと焼き付いている。イチローを心の底から尊敬していたのは分かるが、何もそこまで持ち上げなくてもいいのではないのだろうか。余りにも気を使い過ぎなのではないだろうか――。

 川崎本人にとっては余計なお世話かもしれないが、当時はその場でちょっとした違和感を覚えずにはいられなかったことを思い出す。  

 だから今思えば米球界でメジャーとマイナーを行き来しながらもずっとムードメーカーに徹していたのは、少しでもチームにプラス効果を生み出せればいいと考えた末の犠牲的精神があったからなのかもしれない。ハイテンションで常にスイッチが入りっ放し。たとえ自分が好んでやっていたとしても、そういう姿をずっと貫き続けることは言うまでもなく相当に過酷だ。ましてや100%の意思疎通ができない異国の地。本人も知らず知らずのうちにストレスがたまり、精神的な面の疲労も蓄積していたはずだ。

 川崎に近い関係者が口々に「ムネリンはグラウンドでプレーしているときとプライベートはまったくの別人」「素顔のムネはとても大人しくて繊細な男」などと指摘する声は決して大げさでなく的を射ているだろう。

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