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30歳で楽天を辞めた元副社長が私財を投じて学校を作る理由本城慎之介、軽井沢風越学園創設への道【前編】(4/5 ページ)

» 2018年10月12日 06時15分 公開
[井上理ITmedia]

 本城は、教育寮の建設計画と同時に、軽井沢で自宅を建築する計画も進めていた。長女が小学校に入学するのを機に、09年4月から軽井沢に越すことを決めていたからだ。

 「東京で子育てするのはちょっと自分の中では違うなと思っていて。軽井沢なら東京から2時間もあれば通えるし、学校が作れるような土地が多いのも魅力でした。教育寮とは別に、やっぱり全寮制の中高一貫校も作りたい、という思いも残っていたので。それで、軽井沢に引っ越しました」

 この時点で楽天を辞めてから5年超。「何か形にしていかなければ」という思いから、寮、学校含め、あらゆる選択肢を検討していた本城は、軽井沢でも学校用地の取得を目指して土地を探しはじめていた。

 ところが、軽井沢への移住が思わぬ形で本城を軌道修正させた。本城は寮だけではなくすべてのプロジェクトを手仕舞いし、幼児教育の現場でさらなる修行を積むことになるのだ。

軽井沢への移住が大きな転機になった 軽井沢への移住が大きな転機になった

「森のようちえん ぴっぴ」との衝撃的な出会い

 09年4月の引っ越しを前に、本城は下の3人の子の保育園・幼稚園も探す必要があった。同年1月、人づてに「おもしろい幼稚園がある」と聞いて出向いた場所が、本城の人生を大きく変えた。園舎を持たない野外保育を実践する「森のようちえん ぴっぴ」である。

 07年4月に開園したぴっぴは、「ありのまま」「ゆったり」「ひろがる」「わかちあい」をテーマに、自然の中で自主性を重んじた教育を展開していた。本城が赴いた1月はまだ雪深い時期。その時を本城はこう振り返る。

 「10人くらいの2〜3歳児が森の中でスキーウエアを着て遊んでいるんです。お昼ご飯の時間になると、そのまま外で焚き火を囲む。焚き火では、焼きおにぎりと煮込みハンバーグが作られていて、鍋から出したハンバーグをアルミホイルにくるんで食べているんですね。みんな、寒いので座っていられなくて、立って食べるんですよ」

 「ちょうど3歳になったばかりの男の子が手袋を外して、焚き火周りの岩に置くわけです。どう見てもちょっと火に近いなと思いましたが、スタッフは見て見ぬふり。案の定、手袋がぷすぷす焦げた。男の子は泣いちゃうんですけれど、そのスタッフが言うわけです。『先週は燃やしちゃったんですよ』と。それは、僕にとってかなり衝撃的でした」

 失敗から得られる成長を2〜3歳児から教えていること。安心して失敗できる環境を整えているスタッフ。保護者とスタッフとの信頼関係――。この手袋事件で頭を殴られたような気がした本城は、帰り道、こう思い至ったという。

 「僕が今まで目指していた中高一貫校やエリート教育というのは、小さな成功を積み重ねるということを大事にしていた。でも、用意された成功や整った成功よりも、ぐちゃぐちゃでもいいから自ら進んでチャレンジした失敗を積み重ねていった方が、自信が育まれるのではないか」

 「僕がやろうとしていたことは、例えばリンゴの木だったら、6年間でなるべく甘くて同じ色の同じ大きさの果実が同じタイミングでなるようにする作業じゃないか。それよりも、どんな雨が降ろうと風が吹こうと、広く深く根が張った木に、なるべくいろんな形でいろんな味の実がなるようにしてあげたい。そっち側の現場に、一度、身を置いてみたい」

 自分の子どもたちではなく、本城自身がスタッフとして、ぴっぴに入ることにした。

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