衰退一途の今治タオルが息を吹き返した“大事件”:伝統産業の復活劇(3/5 ページ)
愛媛・今治の地で100年以上前から続くタオル産業。長らく日本有数の産地として発展を遂げたが、1990年代に入ると中国産の安い製品に取って代わられるなど、生産量が激減した。そこからどのような復活劇を遂げたのだろうか――。
今治タオルというブランド作り
佐藤氏も加わった今治タオルプロジェクトがまず取り組んだのが、ブランドマークとロゴの構築、独自の今治タオル認定基準の策定、そしてタオルソムリエ資格認定制度の導入検討だ。
ブランドマークのモチーフにしたのは今治の恵まれた自然で、白は「空に浮かぶ雲」と「タオルのやさしさ・清潔感」、青は「波光煌めく海」と「豊かな水」、赤は「昇りゆく太陽」と「産地の活力」を表現した。また、マークの形が今治(Imabari)の頭文字である「i」となっている。
独自の認定基準は今治タオルのブランド価値と品質を守るべく設けられた。具体的には、タオルの吸水力や色あせにくさ、変形しにくさなどさまざまな試験項目を設け、それをクリアした製品だけが今治タオルの認定を受けられるようにした。代表的な試験項目の1つが「5秒ルール」である。これは吸水性を保証するためにタオル片を水に浮かべて5秒以内に沈むかをテストするものだ。
今治タオルと認定された製品にはどのメーカーであっても等しくブランドマークのタグやネームを付けることで、消費者が一目ですぐに今治タオルだと認知できるようにした。
タオルソムリエとは、世界初のタオルに関する資格認定制度で、主に百貨店、ショップなど小売業の営業や広報担当者をタオルアドバイザーとして育成するのを目的としている。この制度は2007年に実施が始まり、現在までに約2600人がタオルソムリエの認定を受けている。
こうしてスタートした今治タオルプロジェクトだったが、最初は基盤作りであったためにいきなり売り上げが伸びるわけではなく、工業組合の中にはこのプロジェクトに半信半疑だったメンバーも少なからずいたという。当時は代表理事ではなかった近藤氏も実はその一人だった。
「正直難しいだろうと思っていたのが本音。反対者はいなかったけれども、様子見している人は多かったです。これまで先輩たちもブランド作りなどいろいろとやってきたけど、うまくいかなかったわけですから」(近藤氏)
また、工業組合に所属する各メーカーもこれまではライバル同士で、必ずしも良い関係性という会社ばかりではない。それを全員で仲良く今治タオルブランドの同じネームを使いましょうということにも抵抗があったのは事実だ。
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