前述のように、もともと国の成り立ちからローカル色が強いことに加え、日本は戦後、右肩上がりの成長をし、国内市場を拡大してきた国であるわけだから、その小売業は余計にローカル産業と言えるかもしれない。
さてこれらの前提に立って考えるとそこにワナが潜んでいるように思える。キャッチアップ型が染み付いたグローバル感と第三者のお膳立てへの信頼感といったものに、ローカル性の高い産業が単純に結びつくとどうなるかということだ。しかも、それを成功体験として享受してきた国民だ。グローバルとの関係において環境が大きく変化している中で、かなりの確率で道を誤るように思うのである。
ここからがいよいよ本題だ。本題に至るまで随分長々と書いてきたが、この「随分長々」がないと本質的な理解は得られないと思っている。標題には「グローバル標準の商品コード」としているが、ここで重要なのは「グローバル標準の商品コード」ではないのだ。
ちなみに、この「グローバル標準の商品コード」という言葉からほとんどの日本人が思い浮かべることは恐らく次のようなことではないだろうか。
いずれも受け身、もしくは受け身を前提としたもので、こういう反応が一般的ではないかと考える。しかし、そもそも日本が全くの受身でいなくてはいけない「グローバル標準」というのは存在し得るのだろうか?
また、存在させていいものなのだろうか? 何事もキャッチアップしなくてはならなかった時代の日本ではない。まして、ビジネス全般はどんどんグローバル化しているにも拘らず、である。この意識を変えることがまず第一歩であろう。
とは言え、受け身が一般的になってしまっている以上、この商品コードがどんなものであるのか、という基礎知識は必要だろう。
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