法則発表から40周年――未来を見据えるゴードン・ムーア氏(1/2 ページ)

ゴードン・ムーア氏が「ムーアの法則」を発表してから40年。記念日を前にムーア氏が、この40年、そしてこれからの40年について語った。

» 2005年04月14日 22時27分 公開
[IDG Japan]
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 ゴードン・ムーア氏がコンピューティング分野で最も有名な法則を考え出して40年になるが、同氏には、業界に対してアドバイスしたいことがまだ幾つかあるようだ。

 ソフトウェア開発者に対しては、「もっとシンプルに! 君たちのインタフェースはますますひどくなっている」と同氏は苦言を呈する。

 ナノテクノロジーについては、「流行語にまどわされるな。シリコンチップはなくならない」。さらに人工知能に関しては、「最初からやり直せ。君たちは見当違いなことをしている」と同氏は語る。

最初の反響は日本のメーカーから

 あの有名な予言の発表40周年記念が近づく4月13日、現在ハワイに在住するムーア氏は、1時間に及ぶ電話インタビューでの質問にてきぱきと答えた。「集積回路上のトランジスタの数は2年ごとに約2倍になる」というのが同氏の予言だった。

 同氏によると、後にムーアの法則と呼ばれることになったこの予測は、業界にとっていわば自己達成的な予言となり、期待される進歩の速度に歩調を合わせるようコンピュータメーカー各社を促したという。しかし謙虚な同氏は、現代のエレクトロニクス産業の急速な進化を可能にした現象が自分の功績によるものだと主張したりはしなかった。

 「私が1965年にこの論文を発表していなかったとしても、10年後にはその傾向が明白になっていただろう。特定の論文が影響を与えたとは思わない。私はトレンドが見える立場にいただけだ」と同氏は話す。

 ムーア氏は現在76歳。1965年4月19日に同氏の論文が「Electronics Magazine」誌上で発表されたとき、同氏はFairchild Semiconductorの研究開発ディレクターだった。同氏はその3年後、ロバート・ノイス氏と共同でIntelを創設した。1975年には同社のCEOに就任し、その4年後には会長となった。

 ムーア氏によると、同氏の法則は当初あまり反響がなかったという。同氏が覚えている最初の大きな影響は、1970年代に日本のメーカーがメモリチップ事業に参入したときだ。日本のメーカーはしばらくの間、予測不可能な形で技術が進歩しているように思える業界で進むべき道を見つけるのに苦労していた。

 「メモリの種類が1K、4K、16K……という具合に進化するのに気づいた彼らは、業界の進む方向を予測する方法を見つけたのだ。その結果、彼らは業界の発展軌道に正確に照準を合わせ、業界をリードする立場を手に入れるのに成功したのだ」と同氏は話す。

 ムーア氏は1年ほど前に自分の論文を読み返してみたところ、家庭でもコンピュータが使われるようになると予測していたのを見て、驚くと同時に喜んだという。最初の家庭用コンピュータが登場する前にそれを予測したのを同氏は忘れていたのだ。事実、数年後にIntelのCEOになったとき、同氏はホームコンピューティングというアイデアを受け入れなかった。

 「一人の技術者が私のところに、ホームコンピュータというアイデアを持ってきた」と同氏は振り返る。

 「私はそれを聞いて『うん、それはいいアイデアだが、何の役に立つのかね』と言ったのだ。その技術者は、主婦がレシピを管理するのに利用するということくらいしか思い浮かばなかった。私にはそれほど魅力的なアプリケーションのようには思えなかったので、そのときにはIntelがパーソナルコンピュータを推進すべきだとは思わなかった」(同氏)

次の40年は?

 ムーア氏によると、コンピューティング業界は以前から全般的に「よくがんばっている」という。しかし同氏は、特に批判すべき点としてソフトウェアのインタフェースを挙げ、数十年もの間、PCソフトウェアを支配してきたMicrosoftを暗に批判した。次から次へとアプリケーションに機能を詰め込むソフトウェアメーカーは、前に進んでいるのでなく、実際には後退しているのかもしれない。

 「インタフェースが改善されるのにしたがって、かえって複雑さが増しており、汎用コンピューティングの分野は少し後退しているように思える。彼らは多数の新機能をアプリケーションで提供しようと考えているが、その一方であらゆるものを簡素化するのは難しい」とムーア氏は話す。

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