現実的な理想主義GPLv3-Conferenceリポート1(1/5 ページ)

2006年1月にボストンで開催された「GPLv3 Conference」では、GNU GPLの次期バージョン3のドラフトが公開された。GPLで今何が議論されているのか? 同カンファレンスに参加した八田真行氏が初日の模様を余すところなくリポートする。

» 2006年01月30日 16時30分 公開
[八田真行,japan.linux.com]

 2006年1月16日に米国・ボストンで開催された、GPLv3 Conference初日の模様をリポートする。

はじめに

 GNU General Public License、通称GPLは、FLOSS(Free / Libre & Open Source Software)と総称されるソフトウェアの世界において最も広く利用されているソフトウェアライセンスだ。世界最大のソフトウェア紹介サイトfreshmeatの統計によれば、freshmeatに登録されたソフトウェアの実に7割近くにGNU GPLが適用されている。もちろん単に数が多いというだけではなく、Linuxカーネルを筆頭に、主要なオープンソース・ソフトウェアでGNU GPLが適用されているものは枚挙に暇がない。

 現行のGNU GPLは、1991年6月に発表されたバージョン2である。業務の一環としてGNU GPLを管理している非営利団体Free Software Foundation(FSF)が引越ししたことなどに伴い、文中の住所など微細な点には変更が何度か加えられたものの、主要な部分が更新されたのは1991年が最後というわけだ。以来長年に渡って、GNU GPLはハッカーとソフトウェアの自由を守る強固な砦として機能し続けてきたのだが、さすがに書かれてから15年も経つとさまざまなほころびが指摘されるようにもなってくる。何せGNU/Linuxがここまで普及するよりも、そもそもインターネットがここまで普及するよりもずっと前に書かれたライセンスなのである。とはいえ基本的には運用や解釈のレベルで対処できる問題が大半を占めていたが、それでもここ数年は、技術的進歩や著作権の扱いなど取り巻く状況の変化に応じて、GNU GPLが内在的な解決を迫られる問題が幾つも積み上がるという状況になっていた。GNU GPLの改訂は多方面に極めて甚大な影響を及ぼすことが予想されるため、慎重かつ公平な扱いも要求される。

 このような状況をかんがみ、今年一年をフルに使って、一般公衆も巻き込んだオープンな形でGNU GPLを改訂していこうという機運が盛り上がった。その手始めとして、今年1月16日と17日の両日、米国・ボストンのMITにおいて、米国のみならず世界各国の関係者を集めたカンファレンスが開催され、来るGNU GPLの次期バージョン3、通称「GPLv3」の第一ドラフト(草稿)が公開されるということになったのである(この第一ドラフトに関しては、FSFおよびその法律アドバイザーSoftware Freedom Law Center(SFLC)の関係者のみが準備し、カンファレンス当日までその内容は極秘とされていた)。幸い筆者はこのイベントに参加することができたので、本稿ではその模様とともに、今回の動きの背景も含めて幾つかお伝えすることとしたい。本稿では初日、1月16日の内容を中心にご報告する。

MITへ

 今回筆者が滞在したホテルから会場であるMITまでは数百メートル、徒歩で5〜6分と言ったところ。筆者は会議前日(1月15日)の深夜にボストンのローガン国際空港に到着したのだが、ここ数日のボストンは気候が不安定とのことで、この日は氷点下10℃前後まで気温が低下していた。なお筆者は参加できなかったが、会議前日の夜にはボストン市内にあるFSFの事務所でちょっとした前夜祭が開催され、参加者にはワインやチーズが振る舞われたとのことである。

 凍えながらMITの大きな建物の前まで来ると、案内板が出ている。いよいよ会場だ。

GPLv3 Conferenceの案内板 MITの建物前に立っていたGPLv3 Conferenceの案内板

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