世の中に登場して半世紀しか経たないコンピュータにも、歴史が動いた「瞬間」はいくつも挙げることができる。ここに紹介する「ビジュアル」もまさしくそのひとコマ――。
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日本のPC業界における転機は何度かあったが、1991年3月11日に起きた事件は忘れられることはないだろう。
この日、日本IBMは、PCオープン・アーキテクチャー推進協議会(OADG)を正式に設立した。
OADGは、国際標準となっているIBM PC/ATの技術を基礎としてOADG仕様を定め、共通アーキテクチャの実現と、その普及のために活動することを掲げた標準化団体である。
当時、日本では、国内固有仕様とも言えるNECのPC-9800シリーズが圧倒的なシェアを誇る一方で、富士通のFM TOWNSなど独自仕様のPCを各社がそれぞれ製品化。代表的なものだけで、メーカーごとに約10種類ものDOSが存在する、という状況だった。また、AX仕様による共通プラットフォーム製品投入が開始されていたのに加え、Windows3.0が製品化されるなど、さまざまな仕様が入り乱れる状況だった。
先行したAXに対する閉塞感、そしてWindowsが技術進化の途上にあり、仕様の統一化をドライブできない段階だったという状況を考えれば、OADGが打ち出した標準仕様は、国際標準を作り上げたIBMが推進するという意味でも多くのPCメーカーが強い関心を示したのは当然だった。
OADGへの企業の参加条件は「PCオープン・アーキテクチャー推進企業」と呼ばれる制度に登録したメーカーのみ。この時点で、沖電気、キヤノン、三洋電機、シャープ、ソニー、東芝、日立製作所、富士通、松下電器産業、三菱電機、リコーの11社が登録したが、富士通は独自アーキテクチャでの展開が完全に捨てられずに、推進企業としては登録したものの、OADGにはしばらく参加しないという、微妙な立場をとっていた。
その後、OADGの会員企業数は増加し、1年後にはPC-9800シリーズを発売するNECと、98互換機を発売するセイコーエプソン、そして、独自路線のアップルコンピュータ以外のほとんどのメーカーが、参加を表明することになる。
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