『1984年』の監視社会から読み解く情報発信の自由度ネットは国家の情報統制に対抗する力をもたらすか(4/4 ページ)

» 2007年11月23日 08時00分 公開
[岡田靖,ITmedia]
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サイバーコントロールの今後

 Geers氏は、政府機関によるサイバーコントロールの今後について検討を加えた。

 国家保安上の認識や市場の圧力、ビッグ・ブラザーがリトル・ブラザーを支援する構図(中国がジンバブエに対して行っているように)があり、統制は強化される方向に向かっているように見える。

 「しかし、政府にとって現実的な解は、一般的なユーザーが露骨に攻撃してくるのを避けることであって、抜け目のないユーザーが複雑かつ洗練された攻撃を行うことまで対処しようとするのは非現実的。技術は官僚政治より進歩が早い。ソフトもハードも革新を続けているし、Webサイトのコンテンツはより一層ダイナミックになっている。コンピュータネットワークを守ろうとする試みは、より困難になるだろう」とGeers氏は指摘する。そして、サイバーレジスタンスの将来像について触れた。

 「伝統的なメディアは統制を受けやすいが、インターネットは自由の擁護者で、サイバー空間は無政府社会だ。市民や活動家のための普通のツールであってほしい。完璧な攻撃はないし、かといって完璧な防御もなく、“魔法の弾丸”は存在しない。例えば、投票日など重要な日には警戒しなけれなばらない。もし個人を特定されてしまえば、あなたを手助けできるのは非常に限られた人々しかいない。しかしわたしは、ヒューマンファクターを信じる。いつか必ず、人はたどり着くことだろう。ウィンストン・スミスが落ち着く場所を見つけたように」(Geers氏)

「真実が存在して行為の変造がきかない時代へ」

 講演の最後にGeers氏は、再び映画『1984年』のワンシーンを流した(ちなみに、小説『1984年』では導入部に当たる部分だ)。

ウィンストン・スミスのアパートは、たまたま間取りの都合で、テレスクリーンの横の壁に空間がある。そこに入れば、声はともかく動きを監視される心配はない。彼はそこに入り込み、何も書かれていない本と、ペンとインクを取り出した。

 彼が試みようとしていたのは日記をつけ始めるということであった。違法行為ではなかったが(何をやろうと法に反していなかった、もはや法律など存在していなかったからである)、しかしそれが発覚したとすれば、まず間違いなく死刑か最低25年の強制労働に処せられるはずだ。ウィンストンは軸にペン先をはめこみ、グリースを取るためにペン先をなめた。ペンは今や時代遅れの器具で、もはや署名などにさえ使われなくなっていた。彼はひそかに、しかも苦心して手に入れたのであるが、それというのも、この美しいクリーム色の紙はインク・ペンシルで走り書きするよりも、本格的なペン書きにした方がふさわしいと感じたからに他ならない。が、実のところ手書きには慣れていなかったのだ。メモ風の走り書き以外は口述器(スピークライト)に吹き込むのが習わしで、日記をつけるという当面の目的にかなわぬことはいうまでもなかった。彼はペン先をインク瓶にひたしたが、そこで一瞬たじろいだ。戦慄が体内を突き抜けたのである。紙に文字を記入すること自体が決断を必要とする行為であった。小さなぎごちない文字で彼は書いた。

 1984年4月4日


 ウィンストンは、日記に以下のような文章を残している。Geers氏の講演を締めくくるには、この言葉がふさわしいだろう。

 未来あるいは過去へ、思想の自由な時代、または人間が各自の個性を持ちながら、孤独でない時代へ――真実が存在して行為の変造がきかない時代へ。

 画一の時代から、孤独の時代から、“偉大な兄弟”の時代から、二重思考の時代から――挨拶を送る!


※記事中、小説からの抜粋部分は原文のまま表記しています


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