パナソニックに復帰のMS樋口会長、古巣で待つ新事業とはMicrosoft Focus(1/2 ページ)

25年振りに古巣、パナソニックに復帰する樋口泰行氏。同氏が担当するコネクティッドソリューションズは、どんな新事業を展開するのか。

» 2017年03月04日 10時00分 公開
[大河原克行ITmedia]
Photo 2017年4月1日付でパナソニックの専務役員およびコネクティッドソリューションズの社長に就任する樋口泰行氏

 日本マイクロソフトの執行役員会長を務める樋口泰行氏が2017年3月31日付で退任し、4月1日付でパナソニックの専務役員に就任することが明らかになった。日本マイクロソフトは、同氏が4月1日付で同社顧問に就任することを発表していたが、樋口氏はパナソニックで新たな職務に専念するため日本マイクロソフトを退職することになる。

 今回の本連載では、樋口氏のこれまでのキャリアを振り返るとともに、パナソニックの新会社、コネクティッドソリューションズでの役割を見ていく。

 樋口氏は、1980年に大阪大学工学部を卒業後、松下電器産業(現パナソニック)に入社。12年間を同社で過ごした。最初に配属されたのは溶接機事業部。営業職を希望していたが、理系の樋口氏を事業部に配属したいと考えた人事部の意向によるものだったようだ。だが、そのときに、樋口氏自らが希望する事業部を指定しなかったため、当時、最も人気がなかった溶接機事業部に配属されたという逸話が残っている。

 その後樋口氏は、ハーバード大学に社内留学するが、帰国後、約半年でボストン・コンサルティング・グループ(BGC)に入社。アップルコンピュータ(現アップル)を経て、コンパックコンピュータ(現コンパック)に入社するなど外資系企業を渡り歩いた。

 コンパックと日本ヒューレット・パッカードの合併後、2003年に日本ヒューレット・パッカードの代表取締役社長に就任。ここから社長としての手腕が発揮されることになる。2005年には小売大手、ダイエーの再建役として同社社長に抜てきされ、2007年にマイクロソフト(現 日本マイクロソフト)に入社。2008年に取締役代表執行役社長に就任した。実はそれまでの社長就任時はCOOであり、マイクロソフトで始めてCEOに就任した。

 日本マイクロソフト社長に就任すると、世界で最も成功した同社子会社として表彰されるなど数々の実績を残し、2015年には代表執行役会長、2016年には代表権のない執行役員会長に就任した。

 2017年に60歳の節目を迎える樋口氏だが、このニュースが発表された翌日の3月1日には、日本IBMのポール与那嶺社長の退任が発表された。日本IBMの場合は、60歳が社長定年の不文律。60歳になる与那嶺社長の退任はこれに合わせたものだといえる。一方、樋口氏は、60歳から古巣に復帰し、新たな挑戦を開始することになった。

 ちなみにパナソニックは、松下幸之助氏が社長を退任した66歳が事実上の社長定年。樋口氏にとって大阪大学の1年先輩にあたるパナソニックの津賀一宏社長は、2017年に62歳を迎え、あと4年は陣頭指揮を執る可能性が高い。その意味では樋口氏も、あと5年は同社幹部として活躍できるだろう。

 25年ぶりにパナソニックに復帰する樋口氏は、4月1日付で専務役員に就任。同日、AVCネットワークスを再編して社名変更する社内カンパニー「コネクティッドソリューションズ」の社長に就任する。いわば、同社内カンパニーの初代社長といういい方もできる。

 また、6月29日付で代表権を持つ取締役にも就く予定だ。パナソニックは現在、代表権を持つ役員が11人いるが、これを4人に減らす。樋口氏は、そのうちの1人になる。まさに、パナソニックの経営の主軸を担うことになる。

 もう1つ見逃せないのが、これまでコーポレート戦略本部経営企画部長として津賀社長をサポートしてきた原田秀昭氏が4月1日付で、コネクティッドソリューションズの事業戦略担当兼経営企画担当に就くことだ。原田氏はLet's noteなどを担当するITプロダクツ事業部の事業部長を務めたいきさつがあり、パナソニックの中ではIT業界を熟知し、樋口氏の経営手法を最も近くで見てきた人物といえる。樋口氏をサポートするには最適な人材であり、こうしたところにも、パナソニックが万全の体制で樋口氏を迎えようとしていることがうかがえる。

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