2008年の発売以来、33万部も売れているユニークなビジネス書『日本でいちばん大切にしたい会社』。地域に根ざし本当にまっとうな経営をやっている中小企業の話が粛々と書かれている、そんな本だ。書いたのは坂本光司さん。法政大学大学院の先生だ。
ビジネス書はふつう、数万部売れれば大ヒットといわれる中で、2008年の発売以来、33万部も売れているユニークなビジネス書がある。それは『日本でいちばん大切にしたい会社』(あさ出版)という本だ。
地域に根ざし本当にまっとうな経営をやっている中小企業の話が粛々と書かれている、そんな本だ。書いたのは坂本光司さん。法政大学大学院の先生だ。
その本の中に、社員の8割に当たる比率で障害者を雇用しているある会社の話が出てくる。日本には法定雇用率という制度があり、企業は1.8%以上の比率で障害者を雇用しなくてはならない、と法律で定められている。しかし、実際には雇用率は平均1.6%くらいで、坂本さんの調査では日本の大企業の実に6割は法律違反をしている、という。ほとんど確信犯で、納付金(罰金)を払って済ませているのだ。
本の中で、その会社が近くの養護学校の先生のたっての頼みで初めて障害者を雇用したときのエピソード、そしてそれから四十数年後、坂本さんが初めてその会社を訪れたときの感動のエピソードは、読み返すたびに思わず目頭が熱くなる。坂本さん自身も取材中に涙で大学ノートの文字が濡れて原稿が読めなくなったという。
そんな熱いエモーションを持って中小企業の研究をしている大学教授、という生き方に、不思議に心を惹かれた。著者の坂本さんという人はいったいどんな人なんだろう。いちど会ってみたい。会って、そのベストセラーが生まれるまでの裸のストーリーを聞いてみたい。そう思ってわたしたちは坂本さんの市ヶ谷の大学院の研究室を訪ねた。
「企業はよくヒト・モノ・カネって言うけれど、これはとんでもないものさしだと思うんです。わたしに言わせれば、“一に人財、二に人財、三に人財”です」と坂本さんは、熱く語り始めた。
「人財の“ざい”、は材じゃないですよ。材料って書いちゃうから、軽くて薄いほうがいい、ということになる。“財”産を削っていいなんて言う人がいますか? そもそも、人とモノ、カネを同列に扱うこと自体が間違ってる。モノやカネがひとりでに仕事をしますか? 人がモノやカネを使って仕事をするんでしょ。だから本当に大事なのは人。人だけが大事なんです。
本にも書きましたが、長野県伊那市の伊那食品工業の塚越寛会長は、昔、社長になって間もないころに、工場で一人の従業員の方が怪我をされたときに、会社が潰れるかもしれないほどの設備投資をして安全な装置に入れ替えました。操作ミスをし、怪我をしてしまったたった一人の従業員のために、ここまでやってくれるのか、ここまでにこの会社は自分たちの安全を守ってくれるのか、とほかの従業員は感動し愛社心を高めました。
もしその時、安全投資をケチってしまっていたら社員のモチベーションは下がるどころか離散してしまったでしょう。この事故は自分の責任、自分の罪だとして、二度と社員に危険な作業をさせないようにと、投資をしたことが多くの社員の感動を生んだのです」
ちなみにこの伊那食品工業は寒天関連製品の製造で48年連続増収増益という驚くべき業績を挙げた会社だ。しかし塚越会長の自慢は、48年間リストラをせず社員のボーナスを上げ続けてきたことのほうだと言う。こうしたエピソードからも、この会社が本当に人を大切にしているということが分かる。長年の増収増益はそうした社員に優しい経営の結果である。
「わたしの研究では、業績のいい会社が社員のモチベーションが高いのではなくて、社員のモチベーションが高い会社が、業績が高いんです。社員のモチベーションが業績をつくるんです」と坂本さんは力説する。
『日本でいちばん大切にしたい会社』の中で紹介されている中小企業はいずれも、納付金を払ってでも法定雇用率を無視するような大企業とはむしろ真逆の、人を大切にする経営を徹底している企業である。そして規模は小さくても持続的に、堅実な成長を続けている。“百年に一度”の不況下、多くの中小企業が経営難に苦しむ中で、ちゃんと雇用を守り従業員にも、下請け企業にも優しい経営をしている会社がなぜか潰れない。いや、潰れるどころかむしろ好業績を上げている。
坂本さんは今まで約6300社の中小企業を訪れ、ヒアリングやアドバイスをしてきた。その中で、そういう心に響く経営をしている会社が1割位あるという。坂本さんの言葉で「背中と心の経営」をしている企業である。
「背中」というのは従業員とその家族に対する態度。従業員は常に背後から社長の姿を見ている。社外はだませても、社内はだませない。一番いやなこと、大変なことを自分で引き受けている経営者かどうかは、すぐ見透かされてしまう。
「心」は、優しさ。弱い人の側の立場に立ってものを考えられる、優しさを持った経営者かどうか。百年に一度、という厳しい時代において、リストラによってこの危機を乗り切ろうとする企業が増加する中「社員を切るときはまず自分の腹を切る」という覚悟で社員を守る気概があるか、どうか。
坂本さんは、リストラが企業存続の最適な処方であるという発想(=ビジネススクールで教える経営学の常識)が実は間違っているということを、厳粛な事実を多数示すことによって科学的に証明したかったのだと言う。
『日本でいちばん大切にしたい会社』やその続編は、まさに坂本さんが足で歩いて集めて、ビジネス社会に向けて突きつけたその「動かぬ証拠」だったのだ。坂本さんの調査でそうした経営者がかなりの数で存在し、しかもそうした会社の大半は長期にわたり好業績を維持していたことが分かった。
「初めからこの道に進もうと思っていたわけでは全くないんです。大学を卒業して公共機関に就職し、たまたま中小企業を調査したり支援する部署に配属されたのです。でも、それからは毎日が衝撃の連続、そして涙の連続でした。こんな世界、こんな現実があったのか……と」
坂本さんの最初の仕事は中小企業を回って「景況調査」をする仕事だった。しかしそこで見えてきたのは「親会社からコストダウンを迫られて困っている」とか「今までやっていた仕事のラインを中国に移すことになったと急に言われて、仕事がゼロになった」といった厳しい現実、そして「来月の手形が落とせない、どうにかならないか」といった呻きだった。
「工場を見ればおじいさんやおばあさん、主婦の方たちが油まみれ、汗まみれになりながら一生懸命作業をしているんですよ。そういう方たちを前にして、何かしてあげたいと思うのは自然の摂理じゃないですか」
坂本さんは乞われるままに中小企業の社長と一緒に銀行に行ったり資金繰り計画をつくってあげたりと奔走した。勤務先に電話がかかってきて、長時間、相談に乗ってあげることも多かったという。そうした経験が今の坂本さんの原点をつくっている。
「当時は一日に6〜8社訪問しました。そのたびに経営者からさまざまな相談を受けました。相談に応えるためには勉強しなくてはなりません。わたしは専門じゃないから分かりません、って言って逃げてしまえばそれまでで、今のわたしはなかったと思います。分からないからその分野の専門家に聞いたり、好業績の中小企業を訪問し教えてもらったり、また本も沢山読みました。でも、そうした経験が積み重なっていくと強いですね。というのはわたしたちの仕事は医者と一緒で、いかに多くの事例・現場を知っているかなのです」
坂本さんは、中小企業の問題は2つある、という。1つは現象問題。資金繰りとか人手不足、売上げ減少とかだ。行政が支援・指導するほとんどの施策は、こうした現象問題への対応策だ。だが、中小企業が本当に苦しんでいる問題の本質は別にある。そうした「本質問題」に対する処方は、当時の産業支援機関には皆無だった。そこに気付いている経営者も少なかった。坂本さんは無力感に苛立った。
「わたしはいつも決断をする場合、事象を評価する場合、正しいか、正しくないかで考えます。ワルと怠け者がどんな組織においても、またいつの時代も徒党を組むのです。経営者も実は孤独な存在なのです。自分が直感的に正しいと思うことと周囲の意見や“経営セオリー”とのギャップにいつも苦しんでいる。だからわたしに相談してくれるんです。普通、経営者は役人の前では中々本音は言わないですよ。
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