読者の善意に期待し、共感をベースに、過度な一般化をする傾向が私の文章には確かにあったように思う。
まあ、期待が裏切られたとしても、それで“裏切った人”が悪いとは思わない程度の経験は積んできた。お前の言うことは全然違うだろうという人に辛口のコメントをもらうことがあるが、それも立ち止まって考える糧にはしている。
“性善説”的に人をとらえることは、なかなか直しようもないし、直す必要もないと思っている。しかし「過度な一般化」は良くないだろう。そこは、直すことにした。
2013年に入ってから、誠ブログだけではなくFacebookの書き込みのようなものまで、読みなおしてみて、「やっぱり過度な一般化だよなあ」と感じるものは幾つかボツにした。
まだまだかもしれないが、少しずつ努力している。
さて、ここまでは前置きであり、タイトルとは直接関係していない。なので、「コミュニケーションにおいてもっとも大切なことは過度な一般化をしないこと」というような結論ではない。
このような欠陥を持ちつつも、一応リピートが来るのはなぜかも考えてみたのだった。
そこには3つの基準があることように思う。大前提としては、読者が誰かという明確な考えがあることだ。
(ここでお願いですが、私の誠ブログの過去記事を上の基準でチェックしないでください。こういうことが大事だと、それこそ最近分かってきたもので)
こういう記事が書けているときにはリピートが来る。そうでないときは、あまり来ない。もちろん例外もあるが、厳しい依頼元であれば、必ずこの通りのようだ。
この3つの基準は、コミュニケーションにおいても重要である。
先月、@IT自分戦略研究所で公開した「『話し上手なエンジニア』といわれるための8つのコツ」という記事が好評だ。この記事では「話し上手は聞き上手」ということを長々と書いた。
しかし、それよりも前述の3つの基準はさらに本質的なことだと思う。
コミュニケーションというのはただ聞くだけではない。必ずアウトプットがある。事例記事にしても、取材先ではほぼ聞いているだけだが、記事としてアウトプットをする。立派なコミュニケーションである。
一生懸命聞く目的は、最終的には相手の役に立つ、知らなかったことを好奇心を満たす形で発信することにあるのだ。
これは商談などでもまったく同じ構造だ。売れている営業マンは、最初は見込み客の話を一生懸命聞く。きっかけがなければ相手は何も話してくれないので、上手に質問を重ねていく。
上手な質問ができない人が多いのだが、「相手の役に立つ、知らなかったことを、好奇心を満たす形で発信する」ことを念頭におけば、だんだんと質問すべきことが分かるようになるはずだ(これは、多くのトップ営業マンが、言い方はそれぞれだが、共通して語っていることだ)。