「安保反対デモ参加者は頭が悪くて仕事ができない」は本当かスピン経済の歩き方(4/5 ページ)

» 2015年08月18日 08時00分 公開
[窪田順生ITmedia]

自衛隊は違憲だが合法

 1983年9月の衆院予算委員会で、日米安保強化を巡ってシーレーン防衛を表明する中曽根康弘首相と、石橋さんが憲法議論を行った。2時間にも及ぶデスマッチは見応えはあったが、「理想」と「現実」の議論は最後まで噛み合うことはなかった。ただ、戦いを終えた中曽根さんは「私のほうが合理的であり現実的」と手応えを感じていた。「丸腰にならないと世界平和は実現できない」という理想論は冷戦下の安全保障を否定する「対案」にはなりえない、という事実が論戦を通じて全国民にも理解できたというのだ。

 確かに、この論戦以降、ブレない平和主義者が「迷走」を始める。翌年2月27日に開幕した社会党大会で石橋さんはこんな「間違った理論」にたどりついてしまう。

 「自衛隊は違憲だが合法」

 野党連立政権を樹立するためには自衛隊を合憲とする公明党や民社党とのすり合わせが不可欠だった。その「現実」に対処しなくては党として生き残れない。しかし、「理念」を捨て去れば……というジレンマから「間違った理論に固執」してしまったのだ。

 この「変節」が社会党崩壊の引き金となる。どんなに理念が気高く素晴らしくても、国内ですらそれを貫き通すことはできないのに、世界も人々に理解を求めることなどできるのか――。このような疑念が当時の若者たちの間にもわきあがり、「非武装中立論」は急速に支持を失っていく。焦った石橋氏は一発逆転を目指して、渡米してワインバーガー国務長官に「この道(非武装中立)はずっと以前、マッカーサー(元連合国軍最高司令官)に教えられた」と論戦を挑んだが、「50年代のソ連の状態ならばそれでよかったが、現状はそういうことは許されない」と軽くあしらわれた。

 その後の社会党の衰退はご存じのとおりだ。選挙でボロ負けした責任をとって石橋氏は政界を引退。その後、社会党は政権をとったが村山さんは最初の国会でしれっと「自衛隊は、憲法の認めるもの」と答弁、日米安保体制も堅持を表明して石橋理論を全否定したが、時すでに遅そく、議席減に歯止めがかからなかった。野党第一党の座が転落するやあれよあれよというままに組織として崩壊してしまったのである。

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